おはようございます。

昨日の巫女のメッセージ
まあ、色々ね
冷たいとか
サイコパスなんじゃないかとか
巫女にそんなこと言う人もいました。

いろんなことを思う人がいるのは僕も知ってるからいいんじゃないかなと思います。

ただ、callingされて簡単にソウルワーク見つかって
やり始めたことに対して
ずるいと言うがいて
これはちょっと僕としては納得できないんですね。

どういうことかというと
ずるいと言う気持ちですね。

ずるいってなんでしょう。
また、巫女が辞書で調べてました。

人を出しぬいて自分が得するような、正しくないことをやること

巫女は人を出し抜いてますかね?
自分の利益のために正しくないことしてますかね?

もし、巫女がそれやったら
天界から即切られます。
僕もすぐコンタクト切ります。
そういう人のところにはメッセージ送りません。
当たり前です。
周波数が合わない上に、そういう人にメッセージを送るなんて僕たちの格が下がります。
だから、そういう人にはメッセージ送らないです。
僕たちは結構そのあたりはシビアですよ。
今までどんなに天界のメッセージをうけとってくれてみなさんにそれを伝えてくれて役に立ったとしても
今そんなんじゃダメです。

だから、僕たち天界の人間の視点からするとずるいことはしてないです。

でも、みんながいうずるいってそういう意味のずるいじゃないよね。
簡単にソウルワークみつかってずるい
つまり


なんの苦労もしないで
自分は苦労してるのに

そこだよね。
そういうところだよね。

これはなかなか恐ろしい思考ですよ。

人の表面しか見てないってことです。
巫女に限らず人はね
上部ではわからないけど、努力してるんですよ。
これ、古くから言われてるでしょ?
白鳥が水の上を優雅に存在してるけど、水の下は足を必死にかいてるとか
聞いたことあるでしょ?
世の中の成功してる経営者だってそう。
起業した人だってそう。
裏でどんな努力してるか見えないから
楽して儲けてるとか
楽して幸せそうとか
そうなるんです。

努力を努力と思ってない人もいるし、楽したっていいじゃないかという意見もありますが
そもそもね

人は苦労してない
自分は苦労してる
だから、あいつはずるいという発想自体が危ないということに気がついてください。

これいうと
天界の一部からは
理系の人は極端なこと言うとか
先鋭的だとか言われますけど、でもね
この発想は天国的じゃないんですよ。
天界の人でこんなこと思う人いないですよ。
だれもいません。

ブッダが思うかい? 
イエスキリストが思うかい?
みなさんが好きなラクシュミーや勢至菩薩が思うかい?
アテナが思うかい?

過去に「一念三千」の話もここででたよね。
一念は一つの念、思い出すね。
三千は三千世界
つまり、いろんな世界です。
一つの念、思いはいろんな世界へ通じてるよ

天国へ通じてる時もあれば
地獄に通じる時もある。
一念くらいならいいけど
一念が十念くらいになって百念になって 
どんどん膨らんで
生きてる間じゅう地獄に通じてるという人もいます。
それで肉体から魂離れたらどこへいくかね。
天界に来られるわけないね。
そういうことなんです。

自分と向き合うことについてここ最近話してますけど
自分がどんなことを考えているのか
どんな念なのかを
自分でしっかりチェックするって大事なんです。

僕は女神量産化計画ぶち上げましたけど
自分の今考えてること分かりませんとか
自分自身がわかりませんとか
向き合ってませんとか
そういう人は女神候補生すら無理です。

神道系の女性たちみたいに
ふわ〜っとして
私はなんにも考えてませんよ〜という雰囲気を醸しだしてるように見えますが
あの方々は感覚で
そういう思考は自分にあってないことに気がついてるので、一念そんなふうになってもすぐ修正してます。
それも感覚的に無意識に。

もちろん、地上で生きてるから人を憎んだり嫉妬したりする時もあるよ。
ゼロってことにはなかなかいかないね。
でも、それを増幅させたり攻撃的に外へ出したらアウトだよ。

じゃあ、憎悪や嫉妬を無くせばいいなんて思うかもしれないけど
憎悪や嫉妬を光に変えることもできるね。
巫女が散々それ話してます。
闇から光
闇から美という話をしてますね。
それにチャレンジしてもいい。
地上の面白いところだね。

ダラダラ話したけど、僕のいうことわかったかな。
ずるいという発想は危険だよということ。
一念三千だよということ。
地上に生きてるから憎悪や嫉妬も仕方ないけど、それをいつまでも持ち続けるんじゃなくて光や美にかえるのもいいんじゃないかってこと。