おはようございます。
ナンナが昨日光と闇について話したので
私も話します。
私は闇を使ってソウルワークをするので
人によっては忌み嫌われることもあります。
しかし、闇は地球に住む方なら誰でもあります。
それを認めたくなくて
自分の中に闇があるのを受け入れたくなくて
闇を使う私たちを嫌うのですね。
昨今の日本をみていると
SNSを通して人を叩く人が増えています。
本来、自分と真剣に向き合っていたら、あのように他人に対して執拗に叩くことはしないのです。
確かに、叩かれるようなことをしたのかもしれません。
でも、それは誰にでも起こることです。
そんなことはない!
自分は間違ったことなんてしない!
と言い切れる人ほど傲慢と言えるでしょう。
その方たちもその中から学ぶことがあるのです。
それはいつか魂の糧になります。
闇から学ぶことがあるのです。
そして、被害者ビジネスというのでしょうか。
自分は正義である
自分はまちがっていない
自分は被害者である
ということを振りかざす人たちがいます。
人が残虐になる時というのは闇にある時ではありません。
一片でも己が正義である
己が被害者である
己は光であるというものを持ったと思った時です。
自分が光であるという確信を得た時
それを闇を叩く免罪符にして相手をうちのめす。
それが快感にもなってくる。
かつて、魔女裁判が行われていましたが
似たような心理状態です。
しかし、気がついてください。
闇を潰そうと躍起になっている姿こそ、闇ではないですか?
あなたが一番嫌う、排除したい闇になってませんか?
自分は被害者だからといって加害者を立ち直れなくなるまで叩くのは正義ですか?
閉じ込めて表に出すなという方もいます。
◯せというかたもいます。
でも、みなさん
神でさえそんなことはしていないのです。
きっと、神の身体の中で闇があったら痛いでしょう
苦しいでしょう。
でも、闇から光や美が生まれるのをご存知であるからこそ、闇をそのままにしておられるのです。
そして、光の本質というものは相手を叩き、潰し、排除するのとは正反対のものです。
闇を嫌う方こそ、己の中に深い闇がある
ということをいっておきます。