ラクシュミー「今年後半、かなり闇について

このブログで発信することができて

私も嬉しく思っています。

 

アテナやツクヨミ

他の方々も闇について話していました。

私はあまり話していないので

私は闇とは無縁であると思っていて

私の光り輝く部分しか注目してない方も大勢いらっしゃいます。

それはそれで良いでしょう。

 

しかし、観音が話したように

天界の女神でも闇はあります。

特に、私はラクシュミーですから

ラクシュミー的な闇がというものがあります。

 

それは神話を読むとわかりますが

私はヴィシュヌが現れる前、神々に奪われてきました。

つまり、モテてはいたのですけど

それは自分の意思とは関係ないところで起こっていたことです。

そのことで私は多くの傷を作りました。

私の意思に反して奪われるということが

女性にとっていかに苦痛かということは

女性のみなさんならお分かりいただけると思います。

男性であるなら、自分の愛する人が奪われる苦しみというものがあると思います。

そして、私は自分がモテるということに興味は全くありません。

チヤホヤされることにも興味がありません。

 

私に憧れている方も多く

ラクシュミーになりたいという人もいるので

とてもありがたいのですけれど

ラクシュミー独特の苦しみ、闇、傷というものがあります。

私の絵画をみると華やかだし、手からお金が出ているので

もう幸せの塊のような女神ですけれど

 

よく見てください。

 

私はハスの上にいます。

手にも蓮を持っています。

何回もいいますけど、蓮は泥の中に咲く花です。

 

そのようなラクシュミー独特の闇や苦しみを飲み込んで、ラクシュミーという花を咲かせているのです。

 

そこを見ずして

表面的なラクシュミーの美しさに憧れる

というのは私としてはとてもくすぐったい気持ちです.

しかし、多くの人は表面的なことしか見ないということもよく存じております。

 

しかし、このブログを読んでいる方なら

闇のこともきっと知っていることでしょう。

 

光が強ければ同じくらい闇も深い。

それはラクシュミーも例外ではない、ということです。

 

地上にラクシュミーの質を持っている女性は何人かいると私は言いました。

私のメッセージをうけとっている女性もそうです。

地上のラクシュミーたちは

私と同じく光も強いけれど、また闇も深いのです。

そして、それを引き受けて地上で暮らしています。

 

前にも話しましたが

私を真似るなら外側を真似るのではなく

ラクシュミーの心を真似てくださいね。

憧れるならラクシュミーの心をよく見てくださいね。