普賢「おはようございます。

日本では、神道と仏教が馴染み深い教えになっていますが

それではよく聞く

菩薩
如来
違いがわからない方も多いかと存じます。

菩薩とはまだまだ修行中の身。
私もみなさんから慕われ尊敬を集めておりますが
まだまだ修行で如来様には遠く及びません。

ある宗派では、みなが菩薩という考え方もあり
私はそれを採用したいと思っております。
地上におりているみなさんは修行中なので
みなさん、一人残らず菩薩だと私はそのように考えます。

昨今、修行ではない
人生は楽しむものだという考えがでてきておるのも私は存じております。
否定はしませんが
やはり、地上におりて肉体を持つこと自体が一種の修行だと私は考えております。
こちらの世界は肉体がなく
空間や時間を自由に行き来できます。
お腹がすくこともなく
病気もなく
死ぬこともない
地上的な苦しみは一切ないのです。

それを知っててわざわざ地上にみな行きたがる。
修行しに行きたがるのですね。

向上していこうという気持ちの表れだと思っています。

そうやって地上で肉体を持ち、修行を重ねていくと

如来となるわけです。

来るが如し
と書きますが
何が来るのでしょう?

神が仏が来るが如しです。
人間とは思えないほどの
素晴らしい、なにかに逸脱したものをもっている
それが如来様です。


如来と菩薩のわかりやすい一番の違いは法を説けるか説けないか
になります。
私たち菩薩は法の運用と流布です。
法は説けません。

もちろん、境地は雲泥の差があります。

釈迦様が帰天した後、十大弟子が跡を継ぎました。
集団指導体制にしたのですが、菩薩十人でも釈迦様一人には遠く及ばないのです。
それほどの違いがあるのです。

少し如来と菩薩の違いを
理解していただけたでしょうか?

また少しずつお話していきたいとおもっております