准胝(^ν^)「こんばんは!(^ν^)


さて、私が出てきたとなると
また瞑想?と思いました?

今日は違いますよ(^ν^)

瞑想以外の話もします(^ν^)


私達は毎日
みなさんをお助けするのが仕事で
みなさんからは見えないでしょうけど
西に困った人がいればそこへ駆けつけ
東で苦しんでいる人がいればすぐいきます。

そういうことをするのも私達菩薩の仕事の一つなんですが

勢至( ◠‿◠ )がいってるように
それをやったから
お金がもらえるとか
みんなにチヤホヤされるということはないんです(^ν^)

准胝のファンを作りたいからとか
人気者になりたいとか
そんな気持ちは一切ないです(^ν^)



孫さんが時折いう

一即多
多即一
なんです。

これは実はいろんな人が形を変えていってることで
ドイツのクザーヌスも同じようなことをいってます。

つまり、
私たちは肉体を持つと一人という分離した状態を体験しますが
元は分離してません。
でも、肉体があるからわからないんです。

けれど、肉体をもちながら
それを概念ではなく
体験として感じた人のみ
一即多
を話せるのですね(^ν^)

この一即多が心底腑に落ちたら
人の苦しみや悲しみを見たとき
そのままにしておけないのです(^ν^)

だって、
自分=皆
皆=自分なのですから(^ν^)


イエスキリストがかつて言いました。

ある少年に対して優しくしたのは、キリストに対して優しくしたのと同じこと。
何故なら一つだから。


誰かが苦しいと私たちも苦しくなるんです(^ν^)

だから、ほおっておけなくて私たちはこうして
いつも奔走しているのです(^ν^)