モーゼ「日本人にはあまり縁がなく、そもそも古臭い
砂漠の国の私がここで語るのは烏滸がましいが
少し話していこうと思う。
私はシンプルな生き方をした。
神の声の通りに生きただけなのだ。
そこに至るまで紆余曲折あった。
神が招いてくれているにも関わらず
素直に受け取れず、エゴで拒否するようなことを何度といった。
私も地上におりると単なる普通の人間であった。
しかしな、
この、神道系から美しの宮が私のことを不動心の持ち主といってたが
それはどこまで神を信じているかに尽きる。
今の日本は神という言葉を持ち出すと途端に胡散臭い話をしたと言って敬遠するが
胡散臭かろうとそれは事実。
どこまで神を信じることができるか
どこまで神に委ねることができるか
私は多くの人をエジプトから脱出させ救い出したと
言われているが
そうしようとしたわけではない。
つまり、己の意思ではない。
神の意思だった。
砂漠の神の意思
アブラハムとイサクの神に従っただけだった。
もし、私がそうしようとしても、決してうまくはいかなかっただろう。
そもそも、あんなこと考えもしない。
美しの宮がいう
魂の声をきく
これと同じこと。
内なる神の声を聞くということ。
そして、それに従い、委ねる。
それを悩みながらもとことんやり尽くしたのが
私だ。
故に、何度も奇跡的な現象をおこした。
海が割れたのは潮の満ち干きと関係があるという学者もいるが
これを読むものは
海が割れる奇跡はないわけではないと思うはずだ。
なにしろ、神に委ねると
奇跡のようなことがおこる。
それも、時々でなくいつもとおこる。
私はその生き方を示したのだ。
もし、道に迷い絶望しているものがいるなら
私を見よ。
迷いながらも神の声を聞いて生きた私を見よ。
あれはモーゼだからできたと言うなかれ。
私も地上におりたら悩み苦しむ一人の人間だ。
ただ、砂漠の国の神を信じ委ねたのみ。
そなたらも海を割るのも夢ではないぞ。