水仙の記憶 | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある



 『青いガラス瓶』


 


 
 誰も気づかなかったけれど
 ナルシスは水が好きだった
 自分を含めて世界を映す水の鏡と
 その向こう側の虚像ではない水底の迷宮が

 だからナルシスが水辺から水に落ちたのは
 自分自身の姿を抱きしめようとしたからではなく
 美しい自分の姿のその向こうにある
 豊かなる水の世界に住むことを決意したからだった

 この日少し疲れたように見えた一輪の水仙が
 水に生けられて気づいたことは
 水底に残してきた分身の遠い出来事
 春涼やかな水の中で繰り返される鮮やかな記憶

 春なればこそ「水温む」と人は言う
 その言葉を理解したかの如くに蘇った水仙の
 春の底で小さく笑っているような
 かけがえのない今という時間