特に自分の将来について何か悩んでいるわけではないが
人生それほど確定した道を歩けるとも思えず
不確定な未来ということをふと考える
明日もこの宇宙はあるのだろうか
とか考え出したら大袈裟になるか哲学者とでも呼ばれるか
いつだったかも書いたかと思うのだけれど
宇宙の終わりとか世界の終わりとかは
起きてしまっても特に自分だけが苦しむわけではないだろうから
心配するのもほどほどにするだろう
けれど例えば日本の終わりは
もしかしたら今の経済政策が単なる絵に描いた餅であって
一時的に輸出は伸びるが株価も円も下がり
工業生産の原材料を海外から買えなくなるほどになったら
多くの人が結局は生活難に陥り
しかも戦争することだけが可能になるだけだったとしたら
まあ日本は終わりに向かっていることになるだろう
不景気を脱却しつつありますと
自己を熱狂的に確信するかのように何処かの党首は
連呼するけれど
この「しつつある」ってなかなか不可思議な言葉なのだと思う
「しつつある」のであって「した」のではない
けれど「しつつ」という進行形で
若干は「した」部分もあるということを意味している
意味したいのだろう
けれど現代の経済政策のように様々な要因が絡み合い
お互いに切り離せなくなっている状態では
「部分的に実現した」と言い得るものがあるとは思えない
僕はここで政治論議をするつもりは全くないけれど
言葉というものにごまかされたくはないとは思うのだ
政治家の言葉は信じるに値するか否かを考えるべきものだとは
僕は全く思ってはいない
政治の言葉はすべてキャンペーンであって
結果や事実を語るものではないからだ
実はこの「しつつある」という言葉
今「しつつある」かどうかは今の時点では全くわからないということを
ついつい人は忘れてしまう
例えば何についてでもいいけれど目標値が100だとしよう
1年前この値が50であり
この一年の間に
60 70 65 75 65 80 85と変化したとしたら
100という目標は達成されつつあるのだろうか
100は達成されていないし
今後の達成も確率的にそれほど確かなものでもない
けれどこれを「達成しつつある」と表明することはできる
実際的な問題として
本当に達成しつつあったのかどうかは
未来の時点で
100となったときに初めて確定するのであって今は
まだほとんど全く確定していない状態なのだ
この種の不確定な未来先取りキャンペーンは
別に政治の世界だけではないが
政治のようにあるいは経済のように
不確定要素が多いところでは多用されるものらしい
というのも
「しつつある」という言葉に人は良い方向に進んでいると
確たる証拠もなしに思いがちだからなのだろう
宇宙や世界に明日があるか
と聞かれたら「さあ」と僕は応えるだろう
実際今日そう問われて
明日になったならその時点で僕は
「宇宙も世界も『明日』があったね」と言えるようになるけれど
それは結果論なのだ
明日になって確定する事実
それを「まあほぼ大丈夫」と皆が言えるのは
今まで何千回何万回となく
この宇宙と世界に「明日」が来たからだ
そういう反復の数の重みは凄いことなのだが
経済政策なんかに至ってはそういう反復回数はさほど多くない
だからその確実性は「明日も宇宙が存在する」ことに比べたら
ほとんどゼロに近い確率になるだろう
それでも明日を信じる
それは素晴らしいことかもしれない
信じることで今日が強く生きられるなら
どのような軽い信仰も意味を持つだろうと思う
しかしまた
それは信仰であって現実ではない
少なくとも今日の時点では現実にはなっていないものなのだから
どんな予想外の悪結果だって起こりうる
それをどうとらえるのか
これはけっこう重要な
生きる上での分岐点なのかもしれないと思うのだけれど
さて人はどう考えるのだろう
僕はいつもこの手の先取り言葉には
慎重に
といっても悲観的であれというのではない
科学的に論理的に対処したいと思っているのだけれど
そしてそれはまた
時間というもの
言葉というものを考えるときの僕の基本的スタンスなのだけれど
アメリカのnativeであるホピ族の言葉には時制がなく
確定したものとしていないものがあるだけだというようなことを
本で読んだとき
ホピはこの世界を極めて現実的な目で捉えてきたのだなと思った
過去・現在・未来という図式はどこかに
ごまかしが潜んでいるような気もしないではない
そんなことも踏まえて
不確定な未来とは何なのか考えてしまった投票日
さて
事態はいつも水のように素早く流れ
風のように予測できない方向に吹いていくから
いつだって
その時その時に
「さて」と僕は思うのだ
アさて アさて アさて さて さて さて
さては南京玉すだれ
チョイと伸ばせば
浦島太郎さんの魚釣り竿にチョイと似たり
伝統芸能は楽しいが
似ているものと本物は違うのだとは分かりきっているのだが
選挙には行ってきた
人生は選挙だけではないので
他にもまた
「さて」がたくさんありそうだ