『戦争と平和』のナターシャに憧れて
改名してターシャ・テューダーとなり
ボストンの上流社会を捨てたかに思えるテューダーは
広い庭に野を放し飼いにして
かまわないまま
それでも心にかけた草花の庭を育て続けた
僕はいかにも綺麗に手入れされ作り上げられた庭が
小さな時から好きになれない
荒れ放題になった庭に自ずと育ってくる静かな野の秩序
それだけを慰めだと感じるものだ
思い立ち尋ねた地の花は野にある如く咲いていた
言葉を愛し言葉を連ねながら
ふと僕は言葉を鬱陶しく思うのだ
言葉は何かを抽象し
形作らずにはいられない
何かにスポットライトが当てられて
その他もろもろの中に憩っている存在を
ことさらに色づけて取り出してしまう
なぜ言葉をこの小さな頭の中に広げねばならぬのか
なぜ言葉をもってこの愛すべき無秩序を殺さねばならぬのか
小さき花の一つだに
言葉なしに装わせてくれる造化の妙を
僕はいつも妬んで生きている
漫然と投げ出され
打ち捨てられたままに広がっているかに見える
花たちの庭で
誰が言葉を学ぼうか
言葉に疲れて項垂(うなだ)れて
ただ花に生き方を乞うた一日に
僕は言葉を投げ捨てていた
僕はちゃっぷりんさんの『言葉の階段』のなかに
こんな数行を見つけて絶句した
子供達よ
言葉を覚えてはならない
それは世界へ別れを告げることだから
メアリー・ポピンズも同じようなことを違う言い方で言っていた
鳥の言葉は大人になるとわからなくなる
いやそれだけではない
問題はもっと深刻なことなのだ
この記事のタイトルは静かな烈しさを綴った
ちゃっぷりんさんのブログのタイトルにもなっている
僕にとって花は野に咲いているようでなくてはならないように
僕もまた言葉を捨てた野に生きるべきなのか



