メデューサの鼾(いびき) | 不完全な切り紙細工

不完全な切り紙細工

 誰も聴く人がいないのに歌いつづける歌がある
誰も見る人がいないのに踊りつづける踊り手がいる
誰も読む人がいないのに書きつづけられる言葉があって
不完全な切り紙細工を幾つも幾つもつなげていけば
そこに何かの絵が生まれるものと願う鋏がここにある


 毒蛇の髪を持ち身の毛もよだつ姿のメデューサよ
 姉の「強き女」ステンノーと「遠く飛翔する」エウリュアレーより
 なお恐ろしい「支配者にして女王」のメデューサよ

 ペルセウスに打ち倒されて首だけになり
 やがてはペルセウスがアンドロメダを怪物クジラから救うとき
 武器のようにさえ扱われ
 挙げ句の果ては知恵の女神アテナイの盾に貼付けられて
 
 その目に射すくめられた者
 あるいは
 その恐ろしい顔を見た者は
 一瞬にして凍りつき石になる
 
 もともとは美しい少女であったのに
 アテナイの神殿の一隅で
 海の神ポセイドンと恋に落ちたのを見とがめられて
 アンドロメダ同様に神々とアテナイの怒りを買って
 あの姿
 げに恐ろしきは恋の罠
 呪われようと恋するわけもなく

 それを知る人たちが望んだことでもあるまいが
 やがてその恐ろしき顔のまま
 力強き防御のシンボルになる

 まだメデューサが
 鋭い鱗と青銅の手と黄金の羽を持ち
 猛々しく生きていた頃のこと
 自らの恐怖の姿に疲れて眠るとき
 ひとり鼾(いびき)をかいていたという

 いかなる夢を見ていたか
 誰一人知る由もないけれど
 恐ろしき鼾をかきながら
 苦しげに身悶えて
 ときには海の色映したような
 涙を流した
 彼女の泣くとき傍にあり
 その涙に触れた石像は
 たちどころに蘇り
 柔らかくしなやなか身体を
 取り戻すことができたのだ

 その哀れな鼾は
 地の底から沸き昇る地響きのように重く
 海渡る舟の帆を吹き破るように激しく鳴った
 冷たき知恵の女神に呪われた苦しみか
 それとも運命に翻弄された怒りであったのか
 ごうごうと死の淵をさ迷う者の苦しき息で

 だがときには
 恋さえ知らぬ乙女だった頃の幸せな夢を見たものか
 この世のものとも思えぬ鼾が鎮まって
 安らかな寝息になることがある
 遠い夢を見るように
 ほのかな想いに揺れながら
 棘なす皮膚の暗き硬さの奥底から
 素肌の少女の姿が浮かび来て

 その折は迷宮の
 石畳から緑の芽が数知れず吹き
 萌える草々のあいだには清らかな泉が湧きいでる

 ならば 
 そのことを聞き知って
 はるか時を超えた未来に伝えようとする
 記録者の
 この私
 その役目をかなぐり捨てて いな
 その役目の深き定めに従いて
 あえてメデューサの前に進み出て
 その恐ろしき顔を見て石となる

 石となれば食われることもなく
 彼女の傍に永く佇んで
 その苦しみの鼾の中
 その苦しみの鱗の中に
 甘き寝息とともに
 浮かび来る
 恋知らぬ頃の乙女メデューサの
 白き姿を動かぬ目に焼き付ける

 やがてその血の胎より
 天翔る天馬ペガサスを産む者よ

 いつかこの猛々しき妖怪の
 乙女に帰る日を夢に見る



 石になりたし
 メデューサの
 苦しみの底に息をする
 恋知らぬ乙女の寝息聴くために