いやーチョーたぼう
って書いたら読めましたか
いやぁ超多忙で
猫の手どころか
千手観音の手でも
ネズミの足でもいいから貸してほしい
と思うときもあれば
何でこんなに時間が間延びしているんだろうと
思うときもある
(僕の場合は後者は一年に数えるほどしかないが
いろいろとやりたいこと
やらなければならないことばかりで
しかもやりたいようにやらないと気がすまないから)
ふと
携帯電話のない世界を考えた
街角の公衆電話に行列ができるとかは
まあそうだろうけど
災害時には困ったことだけど
非常時じゃなくて
毎日の
例えば携帯なら
それこそトイレの中に居たってかかってくるし
(携帯をなぜかトイレにぽちゃんと落とす人けっこう居るよね)
散歩に持って行ってたら
ぼんやり景色を眺めているときに
急用電話だったりもする
(休養電話にしてほしい人もいるだろう)
写真も動画もリアル・タイムで
まるで目の前に相手がいるようで
相手がパジャマ姿の恋人ならば
幸せだと思えるかもしれないが
そうでない
とんだ相手だってあるわけで
あなたにかかったビデオ・コールに
ギャングの銃口が映ったら・・・
まあ何事も善し悪しだけれど
少なくとも携帯のおかげで
短縮されたモノが二つある
一つは空間
国内は言うまでもなく国外だって
すぐ ヘロー
( ヘロー って笑ってウィンクしてる顔みたいだね
でも 違うけど)
昔は離れたところにいる誰かに何かを
伝えようと思ったとしたら
手紙を書いて相手まで5日
読んで返事書くのに1日で
返事が戻るのに5日かかれば
すぐ2週間
つまりそれだけの距離に相手はいたのだ
だから自分で行こうが誰かに頼もうが
時間だって必要だった
もっともそのおかげで考える時間ができたりしたんだろう
そう 旅の時間みたいなものだね
それが短縮された二つ目のモノ
(わざわざ二つにするなって?)
でもそうだったのが
メールでポイならば
相手はまるで隣に座っているようで
親しげにつきあっている気がしてくるさ
でも手を伸ばしても相手には届かない
想いだけが言葉になって飛んでゆく
プラトニックと言うのかな
それとも
エレクトロプラトニックっていう形容詞作ろうか
それでいいのかな?
便利であって良いと思うし
けれど時間が短縮されただけ僕らが
さらに時間に追われる身になったのも事実であって
しかし
生身の相手は今そこにいるわけでなく
まあ確かにおかげで携帯画面に映った銃口から
バング!!と飛び出す銃弾で死ぬことはなく
ただ相手の電話が壊れるだけで
(バットマンの戦闘シーンみたいにバングだらけも滑稽だ)
つまり昔
相手が遠くに入れば
空間も時間も長々としていたけれど
つまり今
時間は切迫しているのに
相手は相変わらず遠くに居るのなら
時間と空間が一致していた昔話の世界はもはや
僕らの世界ではないわけで
この中途半端な時空の超え方
なんだかとても奇妙なことなんじゃないのかと
だから時々
僕は携帯電話というかスマートな電話というかの
首根っこを押さえ込み
命綱である電気をスイッチでOFFしてしまう
原子力発電が無くなった日のための
予行演習だ(嘘だけど)
いや人嫌いのためじゃない
人を寄せ付けまいとするわけでもなくて
むしろ手間かかってしょうがないのに
人を好きになることの
離れていることの寂しさの
待つ時間のとてつもない長さのことを
あるいは
何かをすることの労力と時間の大きさを
噛み締めたくて
電源を切る
そうするとわざわざ人がやってくる
こちらから出かけて行くこともある
ほんの少しの情報を交換するためだけなのに
そうすると
その相手が何を考えて
その相手が僕に
僕が相手に何を望んでいるかが見えてくる
そうやって
はっきりとわかるのは
今そこにいることの
いかなるモノにも代え難い
深さと重みと
嬉しさだ
せめて生きているあいだくらいは
直に会って
同じ時間と空間を共有することを
大切にして
おかなければと
せめて生きているあいだくらいは
自分で動き回って
手で触れて
おかなければと
要するに
文明の利器失った日のように
生きてみたくなるわけさ
ただ身体ひとつだけの人間として
今ここにしか居ない者として
そしていつかは
永遠に会えなくなる者として