氷結した道に強いワラグリップです。Amazonに靴底のアップ写真があり、16箇所の四角い突起部分にワラグリップ加工が施してあるのがわかります。これが氷結した道の表面にできた水の膜をがっちり掴んで滑りにくくするのです。


先ほどテレビ朝日のニュースを見ていたら、中国の大気汚染に触れていました。中国本土の大気汚染は、近年急激に増えた自動車による排気ガスと製造業の工場の排煙によるものだそうですが、その汚染された煤煙が海上を飛んで日本に及んでいるかもしれない?というのは誰もがご承知かと思います。

その汚染スモッグの中にはPM2.5なる物質が含まれていて、その粒子の大きさはスギ花粉よりも小さいのです。通常のサージカルマスクでは、粒を通してしまうほどです。その粒が肺や血管まで入り込むと、当然、喘息や肺がんの要因にもなるのです。

これから懸念されるのは中国の春節行事です。中国の春節用の花火の煙にはPM2.5が含まれていて、昨年の春節のピーク時の濃度は1593マイクログラムに達したそうです。ちなみに日本の基準値は1日平均で35マイクログラムですから45倍ものPM2.5が発生したそうです。

中国により近い福岡市では、1月に3回もPM2.5濃度が国の基準値を上回ったそうです。今月から県内10ヶ所で測定を開始し、PM2.5の濃度数値をホームページで公開しているそうです。福岡市では、数値が高い場合には外出自粛令を促すなども検討しているそうです。

大阪の枚方でも1月13日に基準値の約2倍のPM2.5が発生したほか、府内の10ヶ所で観測所で基準値を越えたそうです。

中国では汚染物質企業200社以上を閉鎖あい、独自の条例で対応を強化する方針だそうです。

大気汚染に伴って、福岡では防塵マスクやN95マスクなど高機能マスクの問い合わせが増えているそうです。TVも僕も最後は宣伝に繋げちゃうのですね。



一坂太郎さんが書かれた「幕末歴史散歩 東京編」(中公新書)をペラペラと捲っていると(読書は大嫌いなのでペラペラ捲って眺め見る)、彰義隊の話がたくさん載っている(幕末歴史散歩東京編なので当たり前なんだけどんだけどね)。その中でもちょいとした怪談というか霊力譚が面白かった。

国電御徒町駅前近くにある電電公社(NTTとかJRと言うのが嫌い)東京東支店の前身は明治36年(1903)に開業された下谷電話局だが、大正12年(1923)関東大震災で消失してしまった。

その後、昭和元年(1926)に再建されるのだが、その工事中に奇怪な事故が発生したという。

ある日、工事作業中の人夫がツルハシを振り上げたら後ろに転倒し、はずみで持っていたツルハシを同僚の首筋に突き刺して即死させてしまった。

また別な日には工事のための足場の板が突然割れて三名の職員が転落し、下で作業していた同僚の上に落ちて重傷を負わせてしまった。それからも異様な事故が多発したが、いずれも17日だった。

あまりにも異常なので、もしや将門の呪いのようなことがあるのでは?と調べてみると、基礎工事の際に人骨に刀の鍔、小柄などが掘り出されていたことがわかった。

この地は彰義隊に参加した御徒組の藤田重之丞が隠れ家にしていた屋敷の跡で、彰義隊上野戦争の2日後の明治元年5月17日、彰義隊残党が潜んでいることを嗅ぎつけた新政府軍が包囲。屋敷に火をつけて隠れていた重之丞、妻、家来1人を殺してしまった。つまり5月17日が重之丞たちの命日となった。

そこで電話局は僧侶を呼んで供養した。しかし、工事は終了して建物が完成しても幽霊が出たり、奇妙な事故が発生したために昭和2年(1927)にコンクリート製の墓碑が建立された。現在のものは昭和43年(1968)の命日に建てられた。御影石でできており、公社旧館の屋上にある。正面に「藤田家諸霊供養塔」とあり、裏には「藤田重之丞・藤田ユキ・家来各位・乗馬幽魂 慶応戊辰(四年)五月十七日 彰義隊に参加し此処に歿す 江戸の名残りのはなのいろ 散りにしゆくへはわからねど 恩顧に殉ぜしもののふの 跡やゆかしととむらはん 森山彰一」と彫られている。

今でも命日には供養が行われているそうだ。

僕が以前勤めていた会社は湯島にあって、御徒町や上野は身近な街だった。長年にわたって御徒町や上野界隈を歩いたものだが、彰義隊の話は知ってはいるけれど、由のある地と意識して歩いたことはなかった。

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吉村昭先生のほかにも尊敬する時代小説作家がいます。綱淵謙錠さんです。といっても読んだことがあるのは、会津藩の最後を描いた「戊辰落日」と「幕末風塵録」ぐらいです。綱淵さんの本はあまり書籍市場にないのです。アマゾンでは古本を高価で販売されてるいようですが、そんなもの買う金はございません。

さて、綱淵さんは好んで幕末ものだけを書いたようですが、その理由を「幕末風塵録」のあとがきで以下のように語っています。

「わたくしが<幕末>にこだわるのは、主として戊辰戦争の敗者ー大きくはその戊辰戦争を導き出した西欧文明によるカルチャー・ショックの波瀾の中に呑み込まれ行った人々の慰霊鎮魂なしには、明治以後の歴史は語りえない。と考えるからである。敗者の声を無視した勝者の歴史の永続きしないことは、これまた歴史の教えるところである。

もう二年後には、慶応四年(明治元年)から二度目の<戊辰>がやって来る。そのとき、勝者も敗者もともに百年の怨念から解放されて、<歴史>という客観的な時間の中にそれぞれ正当な評価を得て、静かに永遠の眠りに就くことができるようになっていることを期待したい。幕末史がわれわれの未来を映し出す鑑となるのは、そのときである。昭和六十一年二月中浣」

最近では幕末を私的感情のみで創作された漫画のように読みやすい司馬史観だけを読み、幕末を曲解してとらえ、この国を誤った方向に導いていこうとする輩がたくさんいます。その多くは政治家と呼ばれる職業の人々ですが、この人たちだけでなく、この人たちに騙され導かれる人々には何を言っても理解できないようなので、もう「なるようになれ」と諦めて生きるしかないのです。

それを黙ってみているしかない僕も同罪なのですがね。

しかし、戊辰戦争だけでなく、その後のいくつかの戦争のこともそうなんですが、すべての蟠りを捨てて未来を担う人々につながなきゃならないのに、過ぎたことに拘っていつまでも文句言ったり金払えって言ったりする国があります。わからないでもないけれど、互いに戦争の不幸を競い合っても仕方がない。戦争だから何があっても仕方がないと言っているのではないですよ、誤解のないように。

過ぎたことは仕方がない。未来につなぐ前向きな思考に戻し、宗教なんかも捨てて地球人すべては一丸となるしかないのです。

おっと、綱淵さんが二年後に戊辰といったのは昭和六十三年のこと。綱淵さんの願いは届いたのでしょうかね?次の戊辰は二千四十八年(平成六十年)だそうです。
吉展ちゃん誘拐殺人事件と同じ頃、世間を騒然とさせた事件がありました。いわゆる「草加次郎事件」です。

昭和37年(1962)から草加次郎と名乗る犯人が、歌手の島倉千代子に爆発物を送り、翌年の昭和38年には女優の吉永小百合や鰐淵晴子宅に”拳銃弾と脅迫状”を送りつけたりしました。

そして同年9月5日、東京京橋駅に停車中の地下鉄の車両内で爆発物が爆発して乗客10名が重軽傷を負うという事件が発生しました。爆発物は手製の時限爆弾で、着火するための乾電池に”草加次郎”の署名がありました。

草加次郎事件の犯行は爆発7件、脅迫状14件、狙撃1件で、負傷者は合計14名。必死の捜査に関わらず(僕は絶対に違うと思う)鮮明なる指紋を残してもいるのに、犯人逮捕には至らなかったのです。

以降、草加次郎の犯行が行われないまま昭和53年(1978)に時効が成立しました。

「図説・現代殺人事件史」福田洋著・石川保昌編 河出書房新社 ふくろうの本 より