以前から気になっていた船橋の洋食屋「あまから屋」。何度かその前を通るのだけれど、入りにくい雰囲気なのである。なんだかかんだか閉鎖的なのである。っつうか”大人の店”っつう感じ。何か食べてみたかったけれど、やめるのである。だって…怖いんだもん。洋食屋って書いてあるんだから「オフコースAセット 19800円」なんて料理ばっかりだと思うじゃんw 貧乏人は牛丼食うのだって常にエブリディビクビクしてるんだぜ。

ほんで、今日はかみさんが職連校の卒業式なので、その後に待ち合わせるべということになってアタシも船橋までトトトトンと出かけちゃったのである。んで、船橋に着いてかみさんに電話(PHSナイスTEL)したら「あ、わりい、わりい…職連校の仲間と食事してから職安に寄っから、なんか食ってて…」と、いつになくガラの悪い言葉遣い…携帯が時代遅れなガラケーだからだろうか? まいいやっプンプンプン…ってんで、その勢いで「あまから屋」に入店しちゃったのである。

ドアを押し開けると…ゲゲ!そそ…そこは!

あまから屋に入店するなり驚いちゃった。びっくりだよ、ふんとにもう…。可愛いネエチャンに声かけて野太い声出された時以上にびっくらこいちゃった。だってアタイ心が原発の防潮堤以上に脆弱だからさ。

店内は紫煙がぷうーーーーーーーんと充満しちゃっててさ、おっさんおばちゃん連中がタバコふかしながらガッハッハハって大笑いしている。酔っぱらいだよこいつらら…。煙出すなよ、火つけるなよ…ジミヘンかおまいらは!って怒れるわけないので、座ろうとしたらこれが満席に近いんだよ。

んで、労務者風のおっさんの前がひとつだけ空いていたので、手を前方に振りながら「すんまへん」って関西人でもないのに、そんな風な言葉使っちゃって「よっこらしょい」と座るわけだよ。

座ってしばらくしても誰も注文とりに来ないしメニューは壁に貼ってある汚い経年変化した黄色い紙になぐり書きしたもんしかないし…焦っちゃったよ。輪番停電以上に暗い性格してるからさ。黄色い紙の文字を見ていくと「塩辛」「ひじき」「切干」に「らっきょう100円」「納豆100円」「ノリ佃煮100円」なーーて文字が並んでる中に、申し訳なさそうに「カツ煮」「半定食」なんて文字がやっとこさ見えるってわけよ。半定食って何だろ?って思ってよく見ると、横にライス、味噌汁って単品文字が並んでるから、多分、半分ライスに味噌汁にうつけ者じゃなかった漬物がセットされてるんだと思い描いちゃったわけですよ。

しょうがないから目に入った「カツ煮」と「半ご飯に味噌汁にうつけ者なお漬物の半定食」を組み合わせて注文しようと意を決したにも関わらず誰も注文取りに来ねぇんだよ。

しょうがねえから前のおっさんに「あのう…すみません…この店はどうやって注文すればよろしいんでしょうか?」なんて丁寧に聞いちゃったりなんかしちゃったりするわけだよ。

すると前のおっさん、コック帽かぶった店主らしいヨレヨレのおじいちゃんを指して「アレアレ」って言うのよ。ああ、おじいちゃんに注文すればいいんだなって理解して「すみませーーーーん!」「はいぃ?」「カツ煮の半定食をお願いします」「カレイの煮付けはありませんよ」「ん…聞こえないんだな。耳が九州の三池炭鉱あたりまで遠いんだな」って思って大声出して「違いますよ。カツ煮の半定食ですよっ!」って言うと「ああ、はいはい。おおおーーーい!カツ煮の半定食ぅ!」「ああーーーーい!」って奥で女性の声がする。しかも高齢者の女性の声だじょ…。

結局、昼から飲める普通の飲み屋だったんです。ほんじゃ洋食屋っちゅう看板に偽りありじゃねえかヽ(`Д´)ノコラ なんて抗議できません。だって、豆腐に頭をぶつけたら死んじゃうし、任期半ばで勝手に総理大臣辞めちゃうほどに身も心もアソコも弱いんですもん。

そうこうしているうちにカツ煮半定食がおばちゃんによって運ばれてきます。「あ、あなたが先ほど奥でご返事されていた女性でしたか?」と声に出さずにイメージの中で聞いてみる。「古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう?」なんてイメージの詩を口ずさむことなく心の中で聞いてみる。

テーブルの上に表れ出でたるはカツ煮というよりも「ハムカツ煮」的な薄さの代物。「なんじゃこりゃぁ!」精神薄弱たる(肉が薄いというのを芸術的に表現しているだけじゃき)偽装形成肉のようだが、それも、あまりにも不味そうである。ペペペノペッペである。

で、一口食してみる。口中に放り込んでみる。モグモグモグンチョモグリンチョ「不味くはないけど美味くもない、ほんにあなたは屁のようじゃ」

カツ煮を頬張って、そこにご飯を放り込んでクチャクチャ噛んでみる。「うーん、うまく融合しないなぁ。こりゃ、酒のつまみなんだな。肴なんだな。判断を誤って酒の肴を発注しちゃったんだ」仕方がないから諦めて、口中にカツ煮を入れる、ご飯を投入、カツ煮を放り込んではご飯を放り込む。んで噛んじゃう。クチャクチャクッチャリクッチャンコ。カツ煮を食べる、ご飯を食べる、ご飯を食べずにカツ煮を食べない、カツ煮を食べずにご飯を食べるというように安楽亭焼肉食事法を活用してみるがうまくいかない。

はぁ~。あっという間にカツ煮もご飯もなくなったのでホッとため息をついてみる。あ!と気がつく。味噌汁を飲んでいない…飲んでいないだけでなく、汁の具は何者かも吾輩は確認しておらん。これはいかん。吾輩は拙者は僕は俺は私は遺憾に思うのだよ。で、味噌汁の中に箸を突っ込んで具は何ものなのかを確認すると、アサリの殻の中に小さな身が入っておる。そういえば総入れ歯、船橋は潮干狩りの名所であった。

アサリの身を箸でつまんで口の中に入れながらズズズと船橋港の潮の香りがする汁を啜って、硬くなった塩辛い胡瓜?の香の物をガリガリと齧りながら、マフラーを首に巻き、コートを着込んでからGパンのポケットから千円札1枚を出して席を立つ。「ごちそうさま」と言いながらコック帽の主人に「いくらすか?」と聞く。「750円だよ」「はい」と千円札をレジ台に置く。「この店、いつからやってるんですか?」「朝7時からやってるよ」「違います。時代です」「時代? もう20年になるよ」え、意外に短い。もっと古いオールディズかと思ってたよ。

「はいお釣り」「あ、ごちそうさまでした」店の外に出ると、まだ明るいのが嘘のよう。この錯覚は洋食屋に入ったかと思ったら飲み屋だったからに違いない。
「いっつも思うんだけど、あたし、何を書けばいいのか、さっぱりわかんないの」佐田さんが

机の上の自分のアルバムを閉じたり開いたりしながら言った。清弘は「今日も同じこと言って

る…」と微笑みながら「なんでも書きたいことを書けばいいんですよ。子供の頃のことでも結

婚した当時のことでも、今日のことだって書いていいんですよ。あとで生まれた時から現在ま

でを並べ替えちゃえばいいんですからね」とできるだけの笑顔を作って答えた。

佐田さんは今年で71歳になるという。この可長谷カルチャースクールでは僕の講座以外にも「

水彩画」に「古典読書」などの講座を受講するカルチャープロだ。カルチャープロというのは

カルチャースクールで長年にわたって複数の講座を受講している方のことを言う。もちろん、

僕の勝手な造語だ。

「絵でも文章でも、たくさん書きたいことがあるんだけど…」と佐田さんは鼻を人差し指で掻

きながら照れたように呟く。佐田さんはカルチャープロだし、いずれの講座も器用にこなして

いるようだから生来の芸術家なのだ。だからこそ瞬間的な好奇心が働いて、自分のどの時代を

クローズアップしたいのかがわからなくなるらしい。

「佐田さんは器用だから迷うんですよ。その場、その瞬間で書きたいものを書く。絵だってそ

うですよ。もうテキトーにいきましょうよ。あはははは…」

「うん…だけどねぇ~」佐田さんはまだ迷っているらしい。時計を見ると講座終了間近になっ

ている。僕は慌てて「ね、佐田さん、今日はもう終了時間だから、これぐらいにして、次回提

出してもらう課題を出しますね」自分史の講師としての僕は、受講生の文章力向上も必須なの

である。

「え…うーん、うん、いいですよ。で、先生、何を書けばいいの?」

「うーん…」自分で言っておいて迷っちゃう。困ったものだ。しばらく考えていると佐田さん

が机の上に出したアルバムやら日記帳やらをカバンにしまいながら、こちらを凝視している。

照れちゃうじゃないか。

「うーん…よし、それでは”私と絵”にしましょう。佐田さんが何故絵を描くようになったの

か?画力向上のために何をしてきたのか…を短い文章にしてきてください」

「うーん…なんだか、ぱっとしないテーマだけど、いいわ。先生、短くていいんでしょ?」

「えええ!面白くないですか?でへへへへ…。我慢してくださいよ。佐田さんの芸術性が垣間

見える文章をお願いします…。うん、短くっていいですよ。ほんじゃ、また来週お願いします

ね」

「はい、はい。じゃ先生、またねぇ」佐田さんはニットの帽子を頭に乗せて、布製のカバンを

肩にかけるとパパッと女子高生のようなスピードで教室を出て行った。

教室を出ると、スクールの店長が僕を恨めしそうに見ている。僕の講座に佐田さん一人しか受

講していなからもっと講師自身が努力してみろよってな視線である。しかし、痩せすぎてはいるが、店長はなかなかの美人である。あ、そうだ。007に出てくる悪女スパイみたいな感じだ。冷酷な表情は人を2~3人は殺めていそうな感じである。う~ん…何か意地の悪いことを言われそうなのでここは早めに退散しようと出口に向かって歩きながら「あ、店長、こんちは。ほんじゃ失礼しまぁ~す!」と愛想をふりまきながら挨拶すると、店長の口が開いた。

「あ、ちょっと待って、異能さん…」

「あ、何ですか?」

「あのさぁ、あなたねぇ受講生さんを集める気があるの?」

「え?僕が集めるんですか?」

「あったりまえじゃないの。あなたの講座が面白くないから受講生さんが増えないのよ。今月中に2人は受講生見つけなさいよ。受講生さんが増えないとあんたの講座、打ち切りだからね」

店長、腰に手を当てて仁王立ちで怒っている。どうやら本気のようだ。
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奇妙でした。僕は本当に奇妙な子供でした。

自分は、思いきり頭が悪くて何の取り柄もないくせに、他人を(相手が大人でさえ)鼻で笑うような嫌な子供でした。子供にありがちな自分がこの世の中で神のように思えていたんでしょうね。子供というのは自分の目で見える部分だけが世界なのですからね。実に狭小なる世界の王なのです。だから大人のように人の気持ちなんて目に見えぬことを考えることもないし、あったとしてもそれは子供が自分の都合を考えてのことなのだと思います。僕の場合は特にその気持ちが強かったのでしょうね。

世の中は…何でも自分の思うように動いてしまう…動かなければ、それは全て世の中が悪いのだ…という幼稚な考えなんですが、それが今でも変わらずに僕の性質として身に染み付いているような気がします。

そうなってしまった要因のひとつには、世間が言うように僕の両親が僕を甘やかしたということもあるのでしょうが、そんなことは大した要因ではありません。だって人格形成というのは己自身の問題ですからね。親が甘やかして子供がみな悪くなるのであれば、世間は僕のような奴ばかりが跋扈する、つまり、狂人ばかりのような世界になってしまうでしょう。だから、子供が悪くなるのを親のせいにしてはいけません。

僕は子供の頃から世界ってなんだろう?なんで自分がここにいるんだろう?いったい自分は何者なんだろう?ってずっと考えていたんですよ。いつしか世界というのは何となく作りものなんじゃないか?って思う様になりました。だから僕は「世の中という世界には僕だけしか真実はないんだ。その他のものは自然も人も家族だって、実は、まやかしであって、皆僕に合わせてお芝居をしているだけなんだ」と思うようになっていくんですね。

そのせいなのか人ともうまくつきあえないし、友達も少なかったんです。遊ぶのはいつも一人でした。親戚の家に行っても「かわいくねえ餓鬼だ」って嫌われていました。ところが僕の妹は、子供ながらも人とうまくつきあえる奴で、親戚にも大変かわいがられていました。僕はそんな妹が嫌いだったので、彼女を酷くいじめたらしいのです。そのため両親は彼女を僕から引き離すことにしました。妹は5歳ぐらいまで岩手県の一関市という母親の実家で育てられました
1957年1月2日、僕は福島県のいわき市に生まれました。父親は同じ福島にある猪苗代町の農家生まれで建築住宅販売会社の営業マンでした。母親は岩手県一関市にある神社の神主の娘で、電話交換師をしていました。ふたりがどうやって知り合って結婚したのかはまだ聞いたことがありません。

その時期の記憶はほとんどありませんが、列車の操車場の中をひとりで歩いていて、目の前に列車の方向を変える回転式転車台があったのを記憶しています。最近になってインターネットで調べてみると小名浜操車場の写真がありました。勿来には貨物の操車場もあります。どちらかだと思うのですが、ひとりで隣町の小名浜や勿来まで歩いて行けるわけはありませんから、両親と一緒に行った際の記憶の一部だったのでしょうか。

それから間もなく、父親の転勤でいわき市を離れ、同じ福島県内の会津若松、郡山などを経て福島市の弁天山という小さな山の麓に建つアパートに落ち着きます。僕はこの地で幼稚園から小学校入学までの時期を過ごします。弁天山というのは不思議な山で、昼間のうちはひとりで山に登ったりしましたが、夜になれば街灯もなく真っ暗で、さらに登山口には小さな鳥居があって、子供心に恐怖を感じたものです。

最近になって知ったのですが、弁天山は森鴎外の「山椒大夫」で有名な安寿と厨子王が生まれ住んでいたところだと言われています。しかし、これは中世に成立した説経節『さんせう太夫』を基にした創作ですから本当に住んでいたわけではないのです。

でも、創作だとしてもそんな伝説があったせいでしょうか、僕はこの頃に不思議な体験をしています。

ある晩のことです。家族で布団に入り寝ていたのですが、真っ暗な部屋の中で突然目を覚ました僕は天井や壁の中から物凄い数のミミズのような細長いものがニョロニョロと這い出てくるのが見えました。驚いた僕は寝ている両親を起こそうとすると、今度は両親の鼻や口や耳から同じミミズが這い出てくるのが見えました。気がつけば部屋の中にはミミズのようなものでいっぱいです。僕は叫びました。驚いて飛び起きた父親が明かりをつけると部屋の中のミミズは消え失せていました。「風邪の熱でうかされたんだろう」と両親は言って笑いました。その時の両親の顔を恐ろしく感じたものでした。

またある日、こういうこともありました。その日、母親は台所で夕飯の支度をしています。僕は居間で寝転がりながら壁に掛けてあった父親の背広を下から見ていました。そのうちに背広の袖口が気になって仕方がなくなりました。そこで袖口をぐいと掴んで袖口から中を覗き見たのです。すると袖の上から小さな男性の顔が僕を見下ろして笑っていました。男性と何か話したような気もしますが記憶にありません。それから母親に「かあちゃん、背広の中に誰かいるよ」と言ったのですが、「馬鹿言うな」と笑われ、ふてくされた僕は「ほんとだもん」と言いながら再度袖口から覗くと、もう男性の顔は見えませんでした。

だいぶ後になってからですが、壁に掛けてある背広の袖口を覗いても何も見えないことに気がつきました。だって背広の肩から覗くことは不可能ですからね。

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