政治家さんたちは幕末から維新にかけての時代や志士たちが好きみたいだが、司馬遼や軽いノリのTVドラマやマンガに感化されてのことらしい。偏見に満ちた司馬遼の本を読めば、疑問に思って他の本も読んだりしてきっちりと歴史を学ぼうなんて気になるもんだが、そこで終了してしまうらしい。

元々読書が嫌いな人たちみたいだから役所の複雑なる文書なんて読めるはずもないし、読んでも理解もできないのだろうなぁ。いい大学出ても”考える力”を備えていないと「そうせい公」に盲判の世界。これじゃ世の中変わるわきゃないよ、わかっちゃいるけど学べない~♫ スイスイスィダララッタァ スラスラスイスイスィ~♫

幕末の動乱に至った要因を理解していない人は幕末を語ってはいけません!それに他の時代にも現世を語る材料はたくさんあるのですよ。古代もそうだし、平安時代も清盛から頼朝から北条から足利に至る鎌倉~室町の時代にだって政治を語る材料はたくさんありまっせ。

ま、いいや。今日は自宅内作業です。皆さん、お仕事に勉強に励んでくだされ。

ではまた( ̄^ ̄)ゞ

..............消雲堂の安全対策
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徳久という者は人と変わったところがあり、抜けたように見える男だった。徳久が客を招いた際に”どじょうなます”を出したので、人々は徳久を「徳久殿のどじょうなます」と渾名して嘲笑した。

ある日、出仕のとき、心ない者が徳久を「どじょうなます」と言ってからかった。すると徳久はからかった者を抜き打ちに斬り捨てててしまった。

詮議があり、家中では「殿中にて無思慮な行いをした徳久に切腹を命じられますように」という意見が多かったが、それを聞いた直茂(佐賀藩の藩祖 鍋島直茂)は、「からかわれて黙っている者は臆病者であり、殿中であるからといって無礼打ちの場所を選べるはずもない。人を嬲る方が愚かであり、斬られ損というものだ」と言ってお咎めなしとした。
「葉隠」原本現代語訳 山本常朝著(教育社新書)より

鍋島綱茂(肥前佐賀藩の3代目藩主)の時代のこと。このとき参勤交代で綱成は江戸にいた。応対、お使い、お供などを勤めた者の中で、西二右衛門、深江六左衛門、納富九郎左衛門、石井源左衛門などが優秀だった。なかでも二右衛門は馬術の名手として名を馳せていた。しかもなかなかの洒落者であり、馬に乗る際の着物に凝った。馬乗袴というのはこの二右衛門からはじまったものであるという。裏では随分、辻斬りなどもやった男だ。身分は部屋住みである。

そんなときに国元から千住善右衛門という馬上若殿付きの身分の者が江戸に来た。二右衛門、六左衛門、九郎左衛門、源左衛門らは「あのような男が」と不満を抱き、江戸に不案内な善右衛門に数々のいやがらせをしては失敗させていた。いやがらせ受けた善右衛門も二右衛門らに対して強い敵意を抱くようになった。

善右衛門の恨みは頂点に達し、四人を討ち果たすことを決めた。善右衛門は策を巡らし、二右衛門ら四人に「たまに歓談しようではございませぬか。一夕に拙者の住まいにおいでくだされ」と言うと、善右衛門の恨みなどに気づかぬ四人は疑いも持たずに招きに応じた。

その晩、善右衛門は遺書をしたためて、彼らを待った。遺書を書いている途中、馬渡忠兵衛がやってきて「酒宴を開くようだが、それならそれがしも仲間に入れろ」と言うので善右衛門は慌てて「そうなされ」と答えた。そのために遺書の内容が要領を得ぬモノになってしまったが、時間がない。

二右衛門、六左衛門、九郎左衛門がやってきた。残念ながら源左衛門だけはほかに約束ができて来なかった。夜通しの酒宴に疲れ果てた二右衛門ら三人は「帰る」と言い出し、「粥を炊いているのでしばしお持ちを」と言ったが、「いや、粥はいらぬ」と六左衛門と九郎左衛門が立ち上がる。続いて二右衛門が立ち上がろうとしたとき、善右衛門は抜き打ちに二右衛門の首を斬り落とした。続けて善右衛門が九郎左衛門に斬りかかる。六左衛門は呆然として立ち尽くし、「恨まれる覚えはない」と、二人の戦いを見守るばかり。

そのうちに善右衛門の下人が階下から刀を持って駆け上がって来て、六左衛門の背中を斬りつけた。六左衛門が振り返って下人たちと戦っていると、そのうちに九郎左衛門が討たれて倒れた。六左衛門が「これはどういうわけか」と善右衛門に問うと「そのほうも逃さぬ」と言って斬りかかってきた。「心得たり」と叫んで斬り結んだが、双方ともに数箇所の傷を負った。斬り倒されていた九郎左衛門が「口惜しい」と叫んで善右衛門の股を払い斬ると善右衛門はその場に倒れた。

六左衛門は善右衛門のトドメをさそうとしたが、全員が斬死しては証拠がなくなる。目付に知らせようと考えて朦朧とする意識の中、ようやく石井伝兵衛という者の家までたどり着くと、事の次第を話した。石井は「拙者一人だけで検分するわけにはいかぬ。同役のものへも報告せよ」と言い、六左衛門はこの石井の対応に怒ったが適当に挨拶して気力で福地市郎兵衛宅に行った。福地老人は六左衛門の話を聞くと笑い出し「若い衆はそれくらいのことがなくてはならない。わしが行って見届けよう」と言った。六左衛門は福地老人に対して感謝し、この時の嬉しさは終生忘れないだろうと思った。

検分すると善右衛門は虫の息で、九郎左衛門は息があったが、のちに善右衛門は死に、九郎左衛門は傷も癒えた。

届出をすると九郎左衛門と、六左衛門にはお咎めがなかった。刀も抜かずに斬られて死んだ二右衛門の父親はほかに子供がなかったので養子をもらうことになったが、その固めの盃の際に「二右衛門は武運に見離された者だ。子々孫々に至るまで二右衛門の葬式を出してはならぬ」と言った。
映画「カメリア」は韓国の釜山を舞台とした、タイ、韓国、日本の映画監督によるオムニバス映画ですが、そのひとつ吉高由里子が出演する行定勲作品がいいんです。

映画製作班が海に面した崖を背景に映画を撮っていると、突然、韓国人監督が後方の崖の先端に女性が立っているのを見て撮影を中断します。怒った監督が「あそこ、どいてもらえ」と怒鳴るのですが、崖の上を見ると誰もいない・・・。

撮影を終えた監督たちは夜の釜山の街で飲んでいると、監督が裸足で歩いている日本人女性(吉高由里子)を見つけて声をかけます。

それから監督と女性とのたった一夜ですが、幻のような精神的恋愛が始まります。砂浜でお互いの傷を癒すかのように心を交わしあってから女性は「おしっこがしたい」と言って姿を消してしまいます。

映画の結末はこれだけでも十分おわかりになると思います。ネタバレとかよく言いますが、面白ければネタバレでも僕は構わないのです。

印象に残ったのが最後の砂浜の会話です。

女性は夜の浜の闇に「怖い」と恐怖します。監督は「怖いですか? 僕は美しいと思う。怖くないさ。僕は美しいと思う。この闇こそ僕たち映画人が向かい合っているものなんだ。この闇こそが自由だ。映画においての闇は、いつも可能性に満ちているんだ。想像してみてごらん、たとえば、月明かりの下にいる今、僕の目には船が見える」すると女性は「おそらくその船は、世界中を旅して回った」監督は「眠れないカモメが一羽、孤独に空を舞う」女性は「伝言が入ったビンが海に浮かんでいる。たぶん、ある少女が船から海に投げ込んだの」監督は笑いながら「ほら、怖くないでしょ?」女性に恋してしまった監督は「ほんとに綺麗・・・」となぜか日本語で言うと、女性は「見えるの?」とからかうように言い「チョッカラですよ」と何度も呟く。

チョッカラとは韓国で箸のことを言うのだそうで、別な意味では「包茎」という意味があるそうです。

この映画の中の「チョッカラ」は、どっちの意味なのか純情なるあたしにはわかりません。