昭和初期に発生したテロ事件です。


昭和12年2月17日の正午のこと。

前年に日比谷から現在の場所に移転したばかりの国会議事堂前に2人の男が現れた。

男たちは羽織袴に外套を着用した見るからに怪しい人物なのだが、第70回帝国議会が開催中で、愛国に燃える若者が傍聴に来たように見えた。前年には226事件が発生しており、警備する警官や憲兵の数は多かったが、男たちは2人であるし、一般人のようであるから彼らを気に留めることもなかった。

2人の男は互いに視線を交わすと軽く頷き、大柄な方は官邸へ通じる道を下って行き、もうひとりは議事堂の周囲を散歩でもするようにゆっくりと歩き始めた。議事堂の周りを歩いていた男は警官や憲兵の死角になった通用門と正門の間に立ち止まって周囲を見た。男は外套を脱ぎ捨て袴の紐を緩めて懐から短刀を取出した。それを腹に巻かれたサラシに突っ込むと議事堂の鉄柵に飛びついてよじ登り、議事堂内に侵入した。男は議事堂の正面玄関を目指して走った。走りながら「死のう!死のう!死のう!」と叫び、ビラのようなものを撒き散らした。

警官や憲兵がようやく男に気づいた。男を取り押さえようと、数人が男に向かって走り出した。彼らによって進路を断たれた男は、その場に立ち止まってサラシから短刀を取り出すと自分の腹に突き刺して、そのまま一文字に引いた。

警官や憲兵は男に覆いかぶさり短刀を取り上げた。「馬鹿野郎!」「大丈夫か!」「しっかりしろ!」という警官や憲兵の声が周囲に響いた。

官邸側に歩いて行った男は、目標の建物を探すように歩いていたが、迷いながらもやっと決心したように目の前にあった邸に侵入してビラや檄文を前に置いて「死のう!死のう!死のう!」と叫びながら短刀を自分の腹に突き立てて腹を切った。

この日、午後12時30分頃から14時30分頃までに国会議事堂、外務次官邸、宮城前、警視庁、内務省で5人の男が次々と切腹した。

彼らは自分たちが何者であるかを自ら口にすることはなかったが、彼らが撒いたビラや檄文および「切腹主意書」によって、彼らは「死なう団」の団員であり、昭和8年の弾圧以来、徹底して戦ってきた挙句の抗議の行動であることがわかった。

「死なう団」とは正式には「日蓮会殉教衆青年党」と言い、昭和3年に既成宗教の退廃に憂いた青年たちが設立した「日蓮会」の発展組織だった。

「軍国主義下のカルト教団 死なう団事件」保阪正康さん著 角川文庫(ISBN4-04-355601-2)より。