「ぼくのねがいは」竹内浩三(筑波日記 1944年6月8日)

ぼくのねがいは
戦争へ行くこと
ぼくのねがいは
戦争をかくこと
戦争をえがくこと
ぼくが見て、ぼくの手で
戦争をかきたい

そのためなら、銃身の重みが、ケイ骨をくだくまで歩みもしようし、死ぬることすらさえ、いといはせぬ。
一片の紙とエンピツをあたえ(よ)。
ぼくは、ぼくの手で、
戦争を、ぼくの戦争がかきたい。

竹内浩三:1921年に三重県宇治山田市に生まれた。34年に宇治山田中学校に入学。「まんがのよろづや」という誌名の回覧雑誌を作る。40年に日本大学専門部映画科に入学。42年には中井利亮、野村一雄、土屋陽一と「伊勢文学」を創刊。同年10月に三重県久居浜町の中部第三十八部隊に入営。43年には茨城県西筑波飛行場へ転属。44年1月1日から「筑波日記一」の執筆を開始。同年7月27日に「筑波日記二」を中断。12月に斬り込み隊員としてフィリピンに向う。45年4月9日、フィリピン島バギオ北方一〇五二高地で戦死(三重県庁公報による)。

当然の事だが浩三は本当に戦争に行きたいわけではない。人というのは素直になれないときには心と真逆の言葉を吐き出すものだ。人は決して強い生き物ではない。素直になれぬ者を諌めたりしない方がいい。誰もが苦しいときに素直な気持ちになれる自分に感謝する時がくるだろうから。

*浩三は現実に人が殺し合う醜い姿や、傷ついた仲間を救おうとする神々しい姿を記録者として描きたかったのかもしれない。ただし、心優しい浩三にはそんなことはできないだろうなぁ。

「竹内浩三集」よしだみどり編 藤原書店発行
ISBN4-89434-528-5 C0095 ¥2200


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