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ベニョフスキーは、脱走後に日本沿岸に投錨。地名はウシルバーチャルだと日記に書いている。そんな地名があるはずがない。実際には土佐藩の佐喜浜(当時は崎之浜)だ。当時の事が土佐山内家の記録に書かれているからわかったことだ。山内家の記録には上陸してきた異人たちに食料や水を提供したことが書かれている。
その後、ベニョフスキーは北上して阿波(徳島)の日和佐に接岸した。管轄の蜂須賀家には記録がないが、これも山内家には“水を与えて立ち去らせた”という記録がある。
ベニョフスキーの日記によると、その後、琉球のウスマイ・リゴン島へ上陸。島民はカトリックな信徒なので大いに歓迎したとあるが、大法螺ふきのベニョフスキーの日記だから嘘八百。「1749年にポルトガルの神父が来て琉球国王をカトリックに改宗させた」と奇想天外な事が書いてあるそうだ(未読なので)。
ベニョフスキーが実際に上陸したのは琉球ではなく、奄美大島の東間切須浦で、「異人たちが断りもなく小屋を作り、周囲に大砲を据え付けていたのに警戒していたが、問題を起こさずに出帆した」と現地に記録されている。ベニョフスキーの日記はあてにならないが、日本側は意外にしっかりしていたのだ。
その後、ベニョフスキーらは台湾に寄港して問題を起こしてからマカオに向かう。マカオからフランス船でヨーロッパに戻った。犯罪者のようなものなのに冒険談として「回想録」を出版したり、資金を募ってマダガスカル殖民を試みて失敗したり、ハチャメチャな生涯をおくった。最期はマダガスカルで住民を先導してフランス軍と戦い戦死したのだった。
「ベニョフスキー航海記」が平凡社の東洋文庫として刊行されているので、ぜひ読んでみたい。
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ベニョフスキーは、脱走後に日本沿岸に投錨。地名はウシルバーチャルだと日記に書いている。そんな地名があるはずがない。実際には土佐藩の佐喜浜(当時は崎之浜)だ。当時の事が土佐山内家の記録に書かれているからわかったことだ。山内家の記録には上陸してきた異人たちに食料や水を提供したことが書かれている。
その後、ベニョフスキーは北上して阿波(徳島)の日和佐に接岸した。管轄の蜂須賀家には記録がないが、これも山内家には“水を与えて立ち去らせた”という記録がある。
ベニョフスキーの日記によると、その後、琉球のウスマイ・リゴン島へ上陸。島民はカトリックな信徒なので大いに歓迎したとあるが、大法螺ふきのベニョフスキーの日記だから嘘八百。「1749年にポルトガルの神父が来て琉球国王をカトリックに改宗させた」と奇想天外な事が書いてあるそうだ(未読なので)。
ベニョフスキーが実際に上陸したのは琉球ではなく、奄美大島の東間切須浦で、「異人たちが断りもなく小屋を作り、周囲に大砲を据え付けていたのに警戒していたが、問題を起こさずに出帆した」と現地に記録されている。ベニョフスキーの日記はあてにならないが、日本側は意外にしっかりしていたのだ。
その後、ベニョフスキーらは台湾に寄港して問題を起こしてからマカオに向かう。マカオからフランス船でヨーロッパに戻った。犯罪者のようなものなのに冒険談として「回想録」を出版したり、資金を募ってマダガスカル殖民を試みて失敗したり、ハチャメチャな生涯をおくった。最期はマダガスカルで住民を先導してフランス軍と戦い戦死したのだった。
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