2回目は「印旛沼開削工事」です。これは20年以上前に川崎重工さんの小冊子中の「大地に与した男たち」に書いたことがあります。このときには目黒にある現代企画という会社に勤めていてコピーライターまがいの仕事をしていました。当時は、ここの社長に「お前の文章は小学生以下だ」と毎日のように怒られたものです。僕は自分の稚拙さを棚に上げて“、“社長には僕の実力が理解できないのだ”と3ヶ月で辞めてしまいました。いま思えば、社長の言ったことは正しくて、いまだにわかりやすい文章というか大人の文章を書けないでいます。実は僕が物書きになることを願っていたのは、僕の父親でした。これについてはまた次の機会に書きたいと思います。さて、印旛沼です。現代企画で働いた3ヶ月間に僕は大地に与した男たちを2本書いています。1回目は富士山の裾野を開墾した清水の次郎長、2回目が印旛沼開削工事でした。これらを書くために目黒の図書館に通って資料に目を通し、企画を提出してOKが出ると各地に出かけました。

次郎長の回では、静岡の清水市に出かけて清水の次郎長の親族の方に話しを聞いたり、富士の裾野までレンタカーを飛ばして暗い中に現地を撮影するという愚行をしました。印旛沼開削工事の回では、千葉の佐倉市まで出かけて印旛沼開削工事の資料を入手したり、臼井駅から沼のほとりまで歩いて印旛沼を撮影したりという疲れることをしましたが、当時は結構楽しかったのです。辛いのは文章に書いてからです。現代企画の社長は五反田の電波新聞出身で非常に文章の巧い方でした。ですから文章を書く才能のない僕を少しでもマシなものに育てようとして(だったと思いたいですwww)「小学生だってこんな下手な文章を書かない」「本当にやる気があるのか?」と原稿を提出しては何度も書き直しをさせられました。