ミドリ安全「救命胴衣」

河田惠昭さんの「津波災害」を参照しました。

河田さんは被害をイメージ「津波は侮られがちである」と言います。

2010年に発生したチリ沖地震(M8.8)のエネルギーは、広島型原子爆弾の22,000発分という想像もできないもので、これは世界のエネルギー消費量(2006年)5.5%分、日本のエネルギー消費量(2006年)では1年3ヶ月分に匹敵するそうです。この地震エネルギーの約5%が津波のエネルギーと化したと考えられるのだそうです。たとえ5%であっても、原子爆弾1,100発分に相当するようです。今回の太平洋沿岸の大津波を見れば、それも納得できることだと思います。ちなみに河田さんの「津波災害」が発行されたのは昨年の12月でした。

チリ沖地震津波が、東日本の太平洋沿岸に展開していた養殖いかだを中心とした水産業に与えた被害総額は約64億円に達しました。うち67%が宮城県、28%が岩手県と両県で95%を占めていました。2010年のチリ沖地震津波から50年前・・・チリ津波時と同じパターンであり、経験が役立っていないことがわかります。さらに今回の「東日本大震災」における大津波被害は、過去の経験をなんら生かすことのない大災害となってしまいました。

過去の経験をなんら生かすことのないというのは少々酷い表現かもしれません。今回の大津波は1896年「明治三陸大津波」、1933年「昭和三陸大津波」を遥かに凌ぐ誰もが想定できなかった大厄災であったからです。しかも1933年の昭和三陸大津波は、78年も前のことで、当時の経験者は高齢者であったことでしょう。「経験を生かして未然に防ぐ」は言うは易しですがね。

津波の津は港の意味だという。港は防波堤によって囲まれて港を形成している。港に津波が運んできた海水でいっぱいになると岸壁を越えて市街地に侵入してくる。この際に津波を視認することができる。今回も、そうだった。テレビ画面で見る多くの方々による労苦の映像集は、いつ見ても、津波震災の悲惨さと冷酷さと残酷さを見せつける。

2011年3月11日の東日本大震災は、阪神淡路大震災同様の・・・否、時代、時間を考えれば、それ以上の衝撃的な記憶を多くの人々に植え付け、一瞬にして消えていった多くの命の思いは次代に大震災防災へと引き継いでいくのです。

「津波のメカニズム」

津波は高い波であり、沖合いからやってくる海水の塊・・・壁は、恐ろしいほどにゆっくりと・・・怪獣のような、悪魔のようにほくそ笑みながら、多くの人生や運命を呑み込もうとやってるのです。今回の津波は沖合いの太平洋プレートが北米プレートの下に沈みこむ際に引き込まれた北米プレートの撓みが耐え切れなくなって海面方向に跳ね上がったエネルギーによって発生したものですが、さらに太平洋プレートと北米プレートの間に長い時間をかけて堆積した泥の層を一緒に海面に弾丸(この場合は散弾?)のように「押し上げた」パワーも加わったためにさらに津波を大きくしたという説もあります。

いずれにせよ、誰もが想定できなかった東日本大震災の大津波は、誰もが想定できなかった大きな被害を発生させてしまったのです。この「誰もが想定できなかった」というのがポイントです。過去のの経験を生かして、否、発生周期が長いので経験を生かせないにしても多くの津波にまつわる伝承をしっかりと吸収して「高台に住む」「津波の際には高台に避難する」「避難の際に車を使用しない」などの防災意識を持っていれば、このような大被害を発生させずに済んだのでは?と思うのです。

今回、明暗を分けたのは、この防災意識でした。経験がなくても伝承による津波に対する意識を持っていたり、日頃からの避難訓練を欠かさなかった方々は高台に避難して津波襲来から脱することができたのです。

東日本大震災の本震から津波襲来まで30~50分ほどの避難時間があったのに・・・太平洋沿岸で多くの命が津波によって奪われてしまったのですが、多くの方々が「大きな津波がくるわけがない」と考えており、高台に避難した時も、「津波が来るわけがない」と思われていたに違いありません。避難せずに津波に呑み込まれた方々には大きな油断があったのではないかと思います。さらに津波襲来の前に資産を自宅から持ち出すことに集中していたかもしれません。資産といえば車も大きな要因です。

今回は車で避難した方々も多く、高台に通じる狭い海沿いの道はあっという間に渋滞して、そこに大津波が来襲したのです。人は車を大事にし、車は家の次に大事な資産だとの思い込みがあります。津波だけでなく、津波災害を免れるためには「津波を侮るなかれ」しかないのです。



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