テレビで有名人が亡くなったりすると、「私もいずれそっちへ行くからな。それまで待っててな。」とかまるで死後も相手が生きているかのように語りかけ、それが普通になっています。
「天国できっと見守っているよ」ともよく言いますね。(なぜか「極楽で見守っている」とは言わない。)大体普通の人はみな死ねば天国に行くことになっています。まあ悪いことをした人間は「地獄」かもしれませんが、普通に一般人はみな天国です。
「草葉の陰で泣いているぞ」とも言いますね。これも死後の命の存在を意識しています。
2019年のイギリス映画「キュリー夫人」では、キュリー夫人が夫の存命中に降霊会に誘われた時に「死後の命など信じていない」とかいうと「物理学者はそう考えるだろう」と言われます。
私が整形外科の先生に母を失って嘆いていると「きっとお母さんは優しく見守っていますよ。」と言われたときに「先生、私は死後の命を信じていないんです。」というと「論理的にはそうなるんでしょうけどね」と言われました。
映画では死後の命は信じていないと言ったキュリー夫人は、夫を失った後に悲嘆にくれ、「夫と会わせてほしい」と言って降霊会の行なわれていた家の扉をたたきますが霊媒師は亡くなっていました。
死後の命を信じないキュリー夫人ですら夫に会わせてほしいという願うくらい死んだ人でも生きててほしいという思いがそうさせるんですね。映画ですけど。
たぶん日本人の90%以上は、亡くなった人がいる「あちらの世界」を信じているんでしょうね。だからこそ宗教がある気がします。
ところで私が不思議に思うのは、やはり日本人の90%以上は進化論を信じていると思うのです。進化論で自然に人間が生まれたのであれば「あちらの世界」には進化途中のネアンデルタール人とかもいるんでしょうか。
ペットも死んだら「あちらの世界」にいるのでしょうか。カメムシはどうなのでしょうか。(実はつい先日家の中にどこからかカメムシは入り、カーテンを這い上がっていたのに驚いて、窓を開けて指の爪で追い払ったのです。幸い爪にニオイは残りませんでしたが。)
死後の命って人間だけですか?
亡くなった人がもし見守っているとするならば、私たちの日常は死んだ人たちの衆人環視に会っていることになりとてもじゃないですが、窮屈で身動きできません。
ただ死んだ人かどうかはわかりませんが、霊的存在っていうのはあるような気がします。
進化論も正しいのかどうかわかりませんが、進化論を信じている人が同時に死後の命の存在も信じれるのがどうもわからないのです。進化論では究極の先祖は単細胞生物だそうですから。
無生命から非常に無機質な過程で進化してきたのに、そしてそこには最初に魂などなかったのに、死んだ後に魂が残るというのが信じられないのです。