終戦の日、硫黄島で亡くなった大叔父を想う | 人生とお金のことをお伝えする ファイナンシャルプランナー

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終戦から77年の今日、テレビの式典の様子を見ながら、市役所のサイレンを聞きながら黙とうしました。

今朝のニュースで、戦没者は約310万人と聞きました。

大叔父もその一人に含まれているんだなあ…と思うと、多くの人にとって戦争で亡くなっている人は身近にいるのではと思いました。

 

一昨日、関西から息子も帰省し、愛媛にお墓参りに行きました。

4か所のお墓のうち、曾祖父母のお墓には、硫黄島で戦死した大叔父のお墓があります。

小さい頃から、"兵隊さんのお墓”と呼んでいる背の高いお墓は、1945年3月17日に硫黄島で戦死した大叔父のお墓です。

 

1944年11月に硫黄島で書き、12月、日本に帰る戦友に託した手紙が見つかってから、6年経ちました。

5年前の今日、大叔父の書いた手紙をお墓に納めました。

 

 

先月、実家で過ごした時、仏壇の横に大きい封筒を見つけたんです。

新聞社の封筒で、6年前、父が取材された時の新聞記事がラミネート加工されたものが入っていました。

父が若い!6歳違うとずいぶん違います。

電話取材を受けた私の言葉も載ったので、翌年の年賀状には若い頃同じ保育園に勤めていた先生から「あの記事…紀子ちゃんよね?」とメッセージがあったり~

実家では、ご近所の方から、お身内に硫黄島で亡くなった方がいて硫黄島に慰霊に行った話を聞いたり、知らない方からも連絡があったとか。

大叔父は、広島から出征しましたが、愛媛から、しかもご近所で小笠原諸島、硫黄島に赴いた方々がいて驚きました。

 

数年ぶりに記事を読み、一緒に整理されていた手紙のコピーを読み返しました。

久しぶりに目を通しましたが、何度読んでもやはり胸が詰まります。

20歳過ぎの子供を兵隊にとられるなんて、なんて時代だったのでしょう!

わが子だったらと思うと、想像するだけで、胸が張り裂けそうです。

 

大叔父が硫黄島で手紙を書いたのは22歳、亡くなったのは23歳です。

息子は24歳になり、大叔父が亡くなった年齢を超えました。

 

 

 

 

 

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~ご案内~

 

・未来開運お茶会

 

10時~11時30分 

くぐり門珈琲店(東広島市西条本町)

参加費 3,000円(飲み物代含む)

 

次回は秋開催予定です。
 

 

 

 

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