思ってたとこじゃないとこがグッときた | へっぽこハンター日記

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新米ハンターのコトワがハンティングした音楽、映画、書物や芸術一般について語ります。

『パウロ』観ました。

旧作につき、ネタバレ含みます。

まあ、聖書のお話なので、ネタバレといっても・・・という感じなんですけども。

 

 

1世紀半ば、暴君ネロによるキリスト教徒への激しい迫害がつづくローマ。

ローマを半焼するほどの大火事の放火犯として投獄されているパウロ(ジェームズ・フォークナー)を、

彼の弟子で医者のルカ(ジム・カヴィーゼル)が訪ねます。

パウロの信仰を書き残し、迫害に苦しむキリスト教徒たちへのメッセージとするためです。

しかし、キリスト教徒たちのコミュニティの幼い少年が惨殺されたことから、

コミュニティ全体に不穏な空気が流れはじめます・・・

 

 

 

ジム・カヴィーゼルがまた聖書モノに出演するとは思わなかったので、

ちょっと驚いた2018年のこの作品。

 

『パッション』でジーザスを演じた彼は、その評価があまりに高かったゆえに、

このイメージがずっとついてしまうのを恐れて、

「みんなにこの役のことを忘れてもらいたい」みたいなことをよくインタビューで答えてたんですよね。

 

その後、SFテレビドラマ『パーソン・オブ・インタレスト』の心に闇を抱えた元CIA役がハマってヒットして、

多分そのころくらいにこの映画を撮影したと思われる。

 

パウロ役でもよかったかと思ったけど、ルカ役なんやね・・・

というわけで、今回は脇役でした。

 

なにしろパウロは初期のキリスト教社会で一番振れ幅の広いキャラクターなので演じ甲斐があるはず。

もともと彼はユダヤ教徒で、新興宗教だったキリスト教を弾圧する側にいたけど、

奇跡によって改宗したというドラマチックな人物です。

 

彼はキリスト教徒狩りに出かけた先で、

どこからか「なぜ私を迫害するのか」という声が聞こえて、突然目が見えなくなってしまいます。

悔い改めていると、アナニヤというキリスト教徒が遣わされて、

彼が祈ると、パウロの目からうろこのようなものが落ちて再び見えるようになる、という奇跡。

いわゆる「目からうろこ」ということわざのもとになったお話ですね。

この映画の回想シーンにうろこが落ちるショットがなかったから、ちょっと残念でした。

 

 

むごたらしい迫害のシーン(街灯としてキリスト教徒が燃やされるシーンは悪夢・・・)が続き、

恐怖が常に迫っていて、コミュニティのメンバーはみなおびえていて、

獄中のパウロの教えを頼りにしますが、

彼は心の平安や愛を説きます・・・

 

コミュニティのリーダー格のアキーラが「でも具体策は?」と聞くの、無理もない・・・

でも残念ながら、そういう宗教なんですよね・・・

暴力には決して訴えず、神の手にすべてをゆだねて、屠殺される羊たちのように屠られる・・・

 

もともとこの世界での暮らしは仮の暮らしで、

神の国にほんとうの人生があるという考え方なので、

死は終わりではなくてはじまりみたいな感じで、恐れてはいけないのです。

 

当たり前なんですが、聖書に登場するいろんなキーワードが登場して、

そうなんだよねー・・・とか思いながら、観てました。

改めて、変わった考え方だよなあとか思ったりもした。

 

 

ただ、処刑を待つパウロの関心事は、

かつて自分が迫害して、動物を殺すように殺したキリスト教徒たちのことだというのがね。

ちょっと引っかかったんですよね。

改心して、悔い改めて、神やほかのキリスト教徒たちのために尽くしてた彼は、

無実の罪で処刑されること自体に不満はないけど、

死んだあとに行く神の国で、自分が殺した人たちに再会してしまうのが気まずいっていう。

 

まあ、人間的にみたら、そりゃそうだろうとは思うが、

それってクリスチャンじゃない人が想像で書いている話のような気がした。

 

そして、死後に笑顔で迎え入れられるというラストシーンを見て、

そんなバカな、とも思ってしまった。

この設定要るかなあ・・・

 

パウロが自分を迫害しているローマ人を許すのと、

パウロがかつて迫害した人たちから許されるのを天秤にかけちゃいけないのではと思いました。

うまく言えないけど・・・クリスチャン的な物の考え方ではない気がする。

 

難しい問題ですけどね・・・

信仰の世界ってスーパーナチュラルだから・・・

 

娘さんが重い病気に罹っているローマ人看守・マウリティウスが、

パウロに「お前の神なら私の娘を治せるか」と聞くシーンで、

パウロは「わからない」と答えます。

それが真理なんだよね。

神は奪うときには奪うし、助けるときには助ける、

その采配は人間には理解できないものだという考え方なのです。

 

そら、ジーザスのパワーでえいやって奇跡が起きて、娘さんが治った!ってすれば、

ローマ人もみんな一気にジーザスを信じるのかもしれない。

でも、それはご利益に釣られているだけで、信仰とは呼べないのです。

 

パウロとこの看守のやりとりはけっこうおもしろかったし、

示唆に富んでいたと思います。

 

看守の娘さんは結局ルカの医学によって救われますが、

そのあとに看守が「それでもお前の神を信じないと答えたら?」というと、

パウロは「信じろなんて言ってない」と笑います。

そう、信仰は押し付けるものでもないのです。

 

「あなたにも心を開かされる瞬間がくる。そのとき、神に愛されていたと気づくだろう」とパウロが話し、

看守が感慨深く涙ぐんで目をそらす、

そのシーンが思いがけず一番グッときました。

グッとくるポイントだろうなと思ってたとこじゃないとこだっただけに油断してて泣きそうになったね・・・

 

 

というか、パウロ自身の描きかたよりも、

この看守の描き方のほうがおもしろかったんですよ。

看守を演じたオリヴィエ・マルティネリがとてもよかったし、

彼の目から見たパウロは理解できない驚異の人物だっただろうなあという感じがよく出てました。

こっちを狂言回しの主人公にしたらよかったのかも。

 

 

あ、あと、脇役と書いたルカのことをちょっと。

ルカは新約聖書で「ルカによる福音書」を書いた人物として有名ですが、

どんな人でどのくらいの年齢でこの世界に入ったのかなどの詳細がよくわからない人物です。

ギリシャ語を話す医者で、パウロとともにあちこちを旅したということだけがわかってます。

 

新約聖書には4つの福音書がありまして、

それぞれ別の作者によるジーザスの宗教活動記録になってるので、かぶる内容もけっこうあります。

その中でも、ルカが医者だったからか、「ルカによる福音書」は神癒による奇跡のお話が多めなので、

素人目には読んでて楽しいのはこの「ルカによる福音書」だと思います。

ご利益に釣られてはいけないが、でもやっぱり病気が治ったりした景気のいい話が読みたい。

痛快なんだもん。

どんな説明だこれw

(≧▽≦)アハハ

 

 

あと、ルカはもうひとつ、「使徒行伝」を書いたとも言われてますが、

この「使徒行伝」のことをこの映画の字幕では「使徒の働き」と書いてありました。

どうやら僕の時代には「使徒行伝」だったものが、今は「使徒の働き」と訳すのがポピュラーらしい。

 

キリスト教界隈だけなのかどうかわかりませんが、

ご新規さんにも伝わりやすいようにいろんな用語の訳を変えていってて、

ときどきびっくりするなあと思ったよ・・・

いやもう、そのままでよくない?

(;^ω^)コマッタコマッタ・・・