綾香ちゃんが遺体で見つかった翌日から、母親が奇妙な行動をとり始めました。マスコミ各社は事故で亡くなった女児の母親として、翌日にもコメントを求めて藤里町に出向いていたのですが、彼女は手書きのビラを大量にコピーし、近所に貼ったり配ったりしていたのです。その内容は「4月8日の夕方以降、綾香を見かけた方はいませんか?」というものでした。警察の検視でも水死と結果が出、付近の河川敷にも滑ったような跡が見つかって、事故として処理されていたにも関わらず、娘の目撃者を探し始めたのです。
残念ながら我社は事故死と発表されて以降はこの件についてはノータッチだったのですが、取材した他社からの情報では、母親は「娘は殺された」と主張している、というのです。母親いわく「娘は一人で夕方の暗くなる時間に危ない河川敷に行くはずがない」、「行方がわからなくなる前に、住んでいる団地の近くに見覚えのない車が停まっていた」と話しているとのこと。
後でわかったのは、これが事故ではなく犯罪に巻き込まれて亡くなった場合には犯罪被害者給付金という制度で被害者遺族には最高で300万円が支払われることになっており、定職にもつかず、生活保護を受けていた鈴香にとっては喉から手が出る程魅力のある制度だったようです。

しかしながら、目撃者など出るはずもなく、所轄署に何度も捜査を要請していた鈴香は、逆に担当警察官から諦めるよう説得される始末でした。

そんな後日談があったことなど忘れかけていた5月17日、第2の事件が起きたのでした。
第一報は夜の9時過ぎでした。内容は同じ藤里町の小学1年の男児が行方不明だというものでした。同じ町とはいえ、まだ雪解け水は多い時期でしたから、私は「また事故だろう」と思っていました。それが、その日の夜中に急展開することになるのです。

(続く)
秋田離任まで後1ヶ月少々。着任直後に発生した秋田連続児童殺人事件がとてつもない展開になったのは、まさにGWが明けた後のことでした。

今日、畠山鈴香被告が、最高裁への上告を取り下げ、無期懲役が確定しました。秋田での卒業記念にあの忌まわしい1ヶ月間を振り返ってみることにします。

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最初の事件は4月1日付けで秋田に着任して2週間ほど後に発生しました。県内の自治体に挨拶回りをしていて、ある県南の市役所から出てきた時に私の携帯が鳴りました。数日後に離任するSからのものでした。

S「県北の藤里町で小学校4年の女の子が昨夜から行方不明で、さっき遺体が川で発見されました」
私「事故じゃないの?一応現場に行ってくれ。俺はすぐ戻るから」
S「わかりました。多分事故でしょうが、現場に向かいます」

全国で流されるようなニュースであれば、必ず取材をして原稿を出さねばなりませんが、水の事故にはまだ早い季節でした。まあ、たいしたことないだろうという先入観があったのは私に限らず、マスコミ各社も同じだったと思います。

概要はこうでした。亡くなった女児の母親が「娘が遊びに行ったまま帰ってこない」という届け出が地元警察にあり、付近を捜索していた警察が近くを流れる川の下流約5キロ先で遺体を発見した、というものでした。
警察の発表でも「死因は水死。自宅付近の河川敷に滑ったような跡がある」などの理由から事故死として発表、雪解け水で増水していた川に誤って落ちたと判断しました。

マスコミ各社は「事故でよかった」と一様に安堵し、ニュースバリューもそれほど重いものではありませんでした。
ところが、この翌日から様相が変わっていったのです。

(続く)
新幹線のホームでご遺族を見送ってから数日が過ぎました。高田警部補は2階級特進して高田警視になっていました。遺体が帰国するという発表があり、霊柩車に乗った遺体が岡山市内のゆかりの場所を回ること、県警と高田家の合同葬が県立武道館で行われることも日程と同時に明らかにされました。
遺体到着当日の私は高田警視のゆかりの場所のうち、県警機動隊になりました。機動隊の小隊長として若い隊員を指導していた高田警視がカンボジアに赴任する直前まで勤務していた場所でした。カメラマンとして遺体の到着を撮影せよとの指示でした。
制服姿の機動隊員や他の警察官が大勢到着を待っていました。私はその場景全体が見渡せる位置を確保して脚立の一番上で待機していました。
「到着っ」という声に続いて、ゆっくりとした速度の霊柩車が機動隊への曲がり角を進入してきました。100人以上の出迎えの警察官が見守る中、場内に入ってきた霊柩車はさらに速度を落とし、正面玄関で停車しました。
10人ほどの機動隊員と思われる警察官が霊柩車を取り囲み、「小隊長っ」と高田警視を呼びました。
取材に感情を移入してはいけないということは十分わかっていたつもりでしたが、さすがにこの時にはピントを合わすために覗き込んだファインダーが涙でぼやけていました。

その後は県立武道館での合同葬。スペースが決められていたために、幹事社による代表取材でしたので、私自身は入口付近から少しだけ中を見たのみでした。

会社人生で一番長かったGWがこうして終わりました。どこにも行けなかった子供達への罪滅ぼしと思ってその年の夏休み、渋川海岸という県内有数の海水浴場に向かおうとして、「ねずみ捕り」に引っ掛かったのがこの機動隊前の県道だったのは、なにかの巡り合わせだったのかもしれません。

(了)

2006年4月に秋田着任以来3年3ヶ月目となる7月1日付けで、異動が決まりました。異動先は本社、自社のイベントホールの責任者という立場だそうです。

まるっきりの初体験、なにをやったらいいのかわかりませんが、夕食の献立や洗濯の予定などは考えなくてもよくなりそうです。


任地を離れることになるため、HNを一部変更します。内容は今まで通りでいこうと思っていますが、関東学生やX東日本の話が中心になるでしょう。


新しいHNは決まり次第ご報告いたします。

 アメリカンフットボールの東日本社会人選手権、パールボウル・トーナメントは17日、川崎球場で2試合が行われて1次リーグを終了し、4強が決まった。30日に同球場で行われる準決勝では、オービックシーガルズと富士通、アサヒビールと鹿島が対戦する。

土曜日には現役雉達が4大戦で橙光線に22-9で勝利しました。本日は地元秋田大が東北社会人の弘前GSを迎えて春の初戦を行いました。生憎の雨の中、前日に約2時間半かけてフルスペックのフットボールフィールドを作成、私も参加しました。
試合は昨年東北社会人No.1になったGSが少人数ながら秋田大を圧倒、第1Qにパントブロックからセイフティで先制すると、その後も効果的に追加点をあげ、30-0で勝利しました。秋田大には多くの課題が残る試合となりました。

24日は弘前大グランドで弘前大VS北里大の試合に伺う予定です。