SF、ミステリー、時代小説、評論など多彩な分野で活躍した作家の栗本薫(くりもと・かおる、評論家名は中島梓=なかじま・あずさ=、本名今岡純代=いまおか・すみよ)さんが26日午後7時18分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都品川区の病院で死去した。56歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で行い、後日お別れ会を開く。
 早大卒。1977年に文芸評論「文学の輪郭」で群像新人文学賞、78年に小説「ぼくらの時代」で江戸川乱歩賞を受賞。79年から世界一長い物語を目指してファンタジー「グイン・サーガ」シリーズを始め、これまでに正編126巻、外伝21巻を発行し未完となった。同作は英、独、仏語などにも翻訳されている。
 90年に乳がん、2007年に膵臓がんの手術を受け、各体験記を出版。その後、肝臓への転移が見つかり、闘病しながら執筆活動を続けていた。

かれこれ30年近く前から愛読していたグインサーガが、結末を迎えることなく、終了してしまいました。手塚治虫の「日だまりの樹」や隆慶一郎の「吉原御免帳」など私の愛読書には未完が付き物のようです。
来月10日が次の127巻の発売予定日だったのですが、どうなるのでしょう・・・・合掌
弘前大学の開学60周年記念の「アップルボウル・弘前大VS北里大」が弘前大学で行われました。
弘前大は昨秋のリーグ戦で4位、対する北里大は準加盟ながら2部で2勝をあげたチームです。昨年の4年を卒業で欠き新入生がまだ戦力にならない時期ですから弘前大はわずか14人。北里大は1年生が関東の教養過程ということで、2~6年生の19人でした。

第1Q、弘前大はクロスパターンのショートアウトをSB#18がタイミングよくキャッチ、アフターランもあって北里大ゴール前に進みWR#80へのパスが決まって先制します(TFPは2ポイント失敗、6-0)。

プロIフォーメーションからUB#20、TB#26のランを中心にプレイを組み立てる北里大ですが、ダウンは更新するものの得点には至りません。
これに対して弘前大は北里大のパスを北里大ゴール前でインターセプト、第2Qに2TDと2ポイントのTFPを2度とも成功させ、20-0とリードを広げます。
なんとか追撃の得点が欲しい北里大は#20の粘り強いランを軸に弘前大ゴールを目指し、最後は第4ダウンのギャンブルでTE#29へのパスが通りTDをあげました(TFP2ポイント失敗、20-6)。

試合の見所はここまででした。後半は両チームとも疲れが見え出し、足をつるプレイヤーが続出しました。北里大のミスから弘前大は再三北里ゴール前でチャンスをつかみますが、得点に結びつかず、北里大もDLは奮起するもののオフェンスが得点できず前半終了時のスコアがファイナルスコアとなりました。

この試合では、40秒計をBJの私がフィールド内で行いました。かなりせわしい作業でしたが、両チームのボールパーソン、他の審判クルーの協力で1試合スムーズに実施することができました。両チームのベンチにあらかじめ40秒計のスタート時に私が手を上げて合図する、ということにし、両ベンチもそれを見てフィールド内に残り時間を教えていました。
事件があった藤里町ばかりでなく、秋田県でのこの種の凶悪犯罪そのものがほとんど初めてのことでした。県警にとっても地元マスコミにとっても初体験の事象が毎日のように起きている状況だったのです。
報道懇話会自身も親睦団体という性格が強く、誘拐報道に見られるような報道協定などの経験はありません。地元マスコミも外部から流入していた取材陣と同じような取材体制を組まざるを得ず、過熱報道に拍車をかけていた部分もありました。私はまずFAXで報道懇話会各社に自粛要請を確認、県警広報や被害者対策室とも連絡を取りながら情勢を見守っていました。本社からの応援部隊も我社が幹事であることを自覚しながら取材に当たってくれていました。
第1回目の自粛要請をした日の夜、衝撃的な連絡が現地から入ってきました。連絡してきたのはSでした。

S「取材陣が最初の被害者の母親の実家に集まり始めています」
私「綾香ちゃんは事故だったんだろ」
S「地取り(聞き込み)で、その母親が怪しいというのが取れて、県警も覆面パトカーを張り付けているようです」
私「うちはどうしてるの?」
S「ペン(記者)を一人行かせました」
私「了解、引き続き警戒して」

畠山鈴香が犯人として注目された瞬間でした。直後に同じ幹事の民放のY報道局長から電話が入りました。

Y「メディアスクラムの恐れが出てきたね」
私「そんなにひどい状況ですか?」
Y「うん。自宅周辺や実家周辺はマスコミが溢れてるみたい」
私「まずいですね。明日もう一度自粛要請しましょう」

メディアスクラムというのは、和歌山毒入りカレー事件で警察の捜査前から林ますみ宅にマスコミが集中、必要以上の取材を行い集団的過熱報道として社会問題化した苦い経験のある状況のことでした。結果的に林ますみは犯人として検挙されましたが、万が一ホンボシでなかった場合、名誉毀損だけでは済まされない問題となるのです。
(続く)
一夜が明けました。昼前くらいだったでしょうか、能代市内の河川で子供の死体が発見された、との警察広報が入りました。第一報は発見場所が「河川」というだけの表現だったので、ひょっとしたらまた事故かもしれないと淡い期待をしたのですが、すぐに「河川敷の草むらの中で発見された」との続報が入りました。川に流されて河川敷まで遺体が上がるわけがありません。

約1時間後、この男児の両親が遺体が行方不明になっていた米山豪憲君と確認しました。死因は首を絞められての窒息死でした。
その頃には我社ばかりでなく、TVキー局のワイドショークルーや週刊誌の記者などが続々と現地入り、静かな田舎町で起きた殺人事件として取材を開始していました。
二人が通っていた小学校、住んでいた団地、近所のコンビニなどは入れ代わり立ち代わりに取材攻勢を受けていたようです。
静かで白神山地への秋田側入り口として観光客がわずかしか訪れないような田舎町が、傍若無人なマスコミによって踏み荒らされ出したのです。それにまず警戒を表したのが、豪憲君の両親でした。自宅前に「過剰な取材はご遠慮ください」という張り紙をし、同時に県警の被害者対策室に善処を求めたのです。

着任2ヶ月目の私は、当時県内マスコミの責任者で構成しる報道懇話会の幹事でした。県外のマスコミも多数現地入りしていたものの、マスコミの代表として私は他の幹事とともに県警に呼び出されました。被害者対策室長は私達幹事に米山家の張り紙を見せ、過熱報道を自粛するよう求めました。もちろん県警という公権力の言うがままに取材を規制するはずもありません。
しかしながら、松本のサリン事件や和歌山の毒入りカレー事件では、マスコミの過熱報道で被疑者、被害者の別なく周辺住民も含めて大変な迷惑をかけていたことも事実でした。
私達は県警の要請を受けたということではなく、あくまで自主的に住民や被害者には極力迷惑をかけないように各社が努力する、ということを申し合わせて、新聞協会、在京キー局、雑誌協会に通達しました。
しかしながら、その夜からこの事件はとんでもない方向に向かっていくことになるのです。

(続く)
行方不明の小1児童が見つからないまま帰宅、風呂にも入ってさあ寝ようとしていた午前零時半ごろ電話が鳴りました。4月の綾香ちゃん水死事故の直後に秋田に着任したS島からでした。

S「藤里の行方不明、ヤバいですよ」
私「どうヤバいの?」
S「4月の綾香ちゃんの2軒隣の子らしいんです」

連続殺人という言葉が頭をよぎりました。

私「わかった。とりあえず県警行って。俺は支局に上がるから」

私は急いで着替え、会社に向かいました。TVをつけましたが。まだ事件になったわけでもないので、どの局も関連ニュースは流していません。一方県警記者クラブでもまだ所轄署で捜査するかどうかも決まっていないため、情報が取れない状況でした。ただ、夜中にも関わらず、広報課ばかりでなく、殺人担当する捜査一課にも人の出入りがありました。ほどなく、Sが支局に戻ってきました。

S「連続殺人の可能性が高いですね。各社所轄署に向かったそうです」
私「社会部はなんか言ってた?」
S「とりあえず情報を取れ、と」
私「そうか、じゃあ大変だけどタクシー呼んで現地に向かってくれ」

時間は午前3時になっていました。いつも講演会で講師の送迎を頼んでいるタクシー会社に電話を入れ、S・出発しました。秋田から所轄署の能代までは約60キロ、1時間少々かかります。Sが到着するまでの間に社会部、写真部から電話が入りました。

社会部「応援送ります。仙台から1人、社会部から2人行きますんで宿の手配お願いします」
写真部「カメラマンを明日出しますんでよろしく」

約1ヶ月前、前任者から「秋田は冬の事故以外は事件・事故もないから2年か3年のんびりしてよ」と言われたのがウソのような事件の発生でした。
マスコミには「人が交代すると大きな事件・事故が起こる」というジンクスがあります。確かに私自身、横浜では強盗立て篭もりや誘拐、岡山では文民警察官へのゲリラ襲撃やサメ騒動、仙台では筋弛緩剤殺人に大雪などが転勤中に起きていました。
ってことは私の転勤が事件を呼んだのか?と思いなが、明け始めた東の空を見ながら仮眠のために帰路についたのでした。

(続く)