ブログネタ:クチコミ番付一周年をお祝いしてください! 参加中

昨年の10月に、現在関東2部で頑張っている現役のブログを見ていて、審判の立場からアメフトを解説してみようと思ったのがアメブロを始めたきっかけでした。ルールの解説や、実際にあったケースに基づいたルールの適用などを書いているうちに、あれもこれもと内容が増えていき、ペタやクチコミなどまでになりました。

クチコミ1周年おめでとうございます
仙台大VS東北大のオープン戦が、本日仙台大グランドでありました。春の審判クリニックを兼ねたものでしたが、結果は31-0で仙台大の完勝でした。

昨年の4年が抜けた新チームの初戦でしたが、仙台大の完成度の高さが目立った試合でした。東北大は新しい攻撃バターンを試していたようですが、ブロックの淡泊さやQBのおたおたが目につきました。
夏の合宿などを経て秋にはまたひと味違うチームになっていくことでしょう

ブログネタ:好きなことわざ、四字熟語ってある?
参加中




昭和51年、下高井戸の不死鳥大学のS竹監督がリーグ戦に向けての抱負を聞かれ、捲土重来」と答えました。当時学連執行部にいて、リーグ戦や関東選手権(今のクラッシュボウルの前身)で場内放送を担当していた私は、前の年の関東選手権準決勝で、ほとんどぬかるみの化した駒沢第二球技場で、深沢の金色熊(今はわけのわからんニックネームになってます)に僅差で敗れた瞬間を目撃していました。狂喜乱舞する金色熊のメンバーやその友人たち(あきらかにお水と思える女性が多かったのも鮮明に覚えています)の横で、全員が整列し、球技場の前でミーティングをしていた不死鳥達の顔は呆然としているように見えました。




先にある方のブログのコメントでも書きましたが、これは「けんどじゅうらい」ではなく、「けんどちょうらい」と読みます。意味は「敗れた者が、いったん引き下がって勢いを盛り返し、意気込んで来ること」で、三国志で有名な項羽が漢軍に敗れ、少数の味方とともに逃げているときに、宿を借りた先の主人から、いったん退いて兵を立て直し、再度漢軍に向かえとアドバイスを受けますが、項羽はそれを受け入れず、少数で漢軍に挑んで31歳の若さで戦死します。若くして命を落とした項羽を惜しんだ詩人の杜甫が彼の死を悼んで詠んだ七言絶句にもある言葉です。前年の敗戦を糧にして、リーグ戦に臨むS竹監督の意気込みが伝わってくる言葉です。




当時の不死鳥は文字通り不敗神話を継続中だったのですが、ショットガンに頼る傾向があり、その試合でもゴール前でもショットガンを使い、FGではなく、常にTDを狙うという戦術でした。まだゴムのボールも普及していない時代でしたので、空中戦を得意とする不死鳥は雨に弱いのではないか、という評判にもなりました。




その年も不死鳥は雨の準決勝で金色熊に再び敗れ、甲子園ボウルに再登場するのは昭和52年まで待たなくてはなりませんでした。




あのときのS竹監督のリーグ戦に向けた「捲土重来」は、私のその後の人生で、「今に見ていろ」の気持ちにさせてくれる言葉となっています。



米ナショナル・フットボールリーグ(NFL)、レーベンズのQBスティーブ・マクネア(35)が17日、体力の問題を理由に現役引退を表明した。2003年シーズンのリーグ最優秀選手に輝いた同選手は「決断するのは難しかった。気持ちではプレーできても、体がついていかない」などと語った。
 1995年にNFL入りしたマクネアはパス、ランともに高い能力を見せ、00年1月のスーパーボウルへタイタンズを導いた。レーベンズに移籍した06年シーズンは、チームの地区制覇に貢献したものの、古傷の腰や肩などに故障が重なり、昨季は6試合の出場に止まった。

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ブログネタ:明日からしようと思っていることは何? 参加中

どんなスポーツでも持久力は必要なものです。アメフトも例外ではないのですが、私が先輩に勧誘を受けた時の殺し文句は「アメフトは長距離走らないから」でした。高校を卒業するまで運動らしい運動をしていなかった私は長距離を走るのが嫌いです。先輩の殺し文句も入部を決めた一因だったのですが、前に書いたように1年の最終戦で左膝の靭帯を断裂してしまいました。

約2ヶ月左足をふとももから足首までギブスで固定されていたわたしの左足はまるでツイギー(知ってる人いるのかなあ、イギリスのめちゃ細いモデルさんです)のような細さになっていました。リハビリでマッサージを受け、膝が曲がるようになった頃、リハビリの先生に言われました。「断裂してしまった靭帯は手術でつなぐことができません。後はランニングやトレーニングで膝の周りの筋肉を鍛えてください」と。

走る・・・・アメフトは続けたいけど、走るのは・・・・

最終戦であったこともあって、練習開始はあと1ヶ月以上先です。学校も春休み、自分の意志でランニングなんて思いもつきません。それでも自宅の周りを散歩したり、軽いジョギングをほんの数分だけやって自己満足していました。

やがて3月になり、練習が再開されると、先輩の言い付けで、私はマネージャーのような仕事をさせられました。春の練習は最初はランニングやウエイトトレーニングです。マネージャーの仕事を言い訳に、私はもっぱら雑用ばかりしていました。(このままじゃいけない。自分もトレーニングしなくちゃ)とは思いながら、今日は雑用あるから明日から皆と一緒に走ろう、などと一日延ばしにしていました。
その時の「明日からやろう。明日には走らなくちゃ」はほとんど実行されず、おかげていまだに左足の膝の上の筋肉は右に比べて貧弱なままです。