GB12th


もう12回目になりますが、数年前から関東招待試合の形式を学生と社会人のオールスター戦形式に変えました。東北6県はいささか広いので、練習といっても数回しかできていないはずですが、観客も出場選手もフットボールを楽しんでもらえれば幸いです。もちろん、私も朝7時半に秋田を出発して参加いたします。


明日の夜には試合経過などをアップします。グランドの中にいて試合の様子を覚えるのは結構大変なので、あいまいになる部分はご容赦ください。


ブログネタ:知らないことを、素直に「知らない」って言える?
参加中




最初に試合で笛を吹いたのは、九州の福岡赴任中でした。現役時代にも練習試合などの笛は吹いていましたし、どちらかというとルールから入門したスポーツでもあったので、当時アメフトが産声をあげてまもない九州では、ルールを知っているほうであったのだと思います。




春の赴任でその春から試合では笛を吹いていたのですが、時々学生からルールに関する質問を受けたりします。審判のクリニックを正式に受けたわけではないので、知っている知識については胸を張って答えられるのですが、難解なケースに対しては絶句してしまうこともしばしばでした。「もちろん知ってるさ」などと言ってその場はごまかしたのですが、自分自身でも知っておかねばならないものでしたので、7月のオフの時に帰省した際に渋谷の某専門店(当時は公園通りの頂上付近にありました)に行き、ルールブックを遅まきながら購入しました。国鉄(今のJRですww)のマスコミ用のパスがあり、東京ー博多間は特急券だけで乗車できた時代でしたので、帰りの新幹線では第1章からじっくり読んで福岡に戻りました。




はっきり言って当時の知識では「知らない」こともたくさんありました。でも、学生の前では決して「知りません」なんて言えませんでした。アメフトはルールの難解なスポーツだと言われています。(「ルールの難しいスポーツや人が評価するスポーツは2流」と言ったのは会社の大先輩でした。その息子さんは福岡の黒騎士大学で一時アメフトをしていたのですが・・・・)試合中にはいろいろなことが発生、そのたびにルールブックを見ていては試合になりません。瞬時に判断して、説明を両チームのキャプテンや場合によってはベンチにもしなければならないのです。




前にも書きましたが、今でも1試合こなすごとに反省点があったり、疑問点が生じたりしています。知らないことを「知らない」といえるのは大変勇気のあることなのですが、試合を任されている以上、「知っておかねばならない」ことも事実なのです。

常にルールブックは枕元に置いてあります。試合後の就寝前に気になった点を確認しだすと眠れなくなり、納得できるとこのブログの「ケーススタディ」としての記事になっている、というのが最近の状況なのです。
ブログネタ:映画は字幕で見る?吹き替えで見る? 参加中
アメフトの映画で一番知られているのは「ロンゲストヤード」でしょうか。元NFLの花形QBが傷害事件を起こして監獄入り。看守チームとの試合をするために囚人チームを作りますが、看守チームを勝たせるために所長に八百長を持ち掛けられます。仲間の囚人達が卑怯な審判と卑劣なラフプレイで次々と負傷退場していく中、第4Qの残り数秒で主演のバート・レイノルズが「勝つ事」に目覚めます。第4Q残り1秒、第4ダウンでバートはパスのドロップバックから左オープンにスクランブル。試合終了のビストルが鳴る中、ゴール前からダイビング、逆転のTDをあげる、というあらすじでした。

「ロンゲストヤード」もおもしろい映画でしたが、私の中では現役を同じ時間に過ごしていた実話を元に作られた「ジョーイ」が一番印象の強い映画です。

ペンシルベニア州立大学(ペンステイツ)のエースRBジョン・キャバレッティは、あのプロフェッサー健のTVシリーズでも日本に紹介されていたデカくて速くてパワーのある選手でした。彼は4年の時にハイズマン賞を受賞するのですが、その時の様子が日本でも紹介されました。
ヘッドコーチ、チーム関係者、両親などへの感謝を述べた後にこう続けます。「僕の一番下の弟、ジョーイは病気です。白血病で満足な運動もできません。その弟が僕の試合は欠かさずに応援に来てくれました。僕がもらったこの名誉ある賞は弟が与えてくれた賞でもあるのです」と。あふれる涙を拭おうともせずに語る彼を見た時には感激しました。

それがアメフト映画になったわけです。奨学金をもらい、自宅から遠く離れた学校で活躍するジョン。その兄をとても自慢にしているジョーイ。発病の様子から、家族での献身的な看護。弟が元気になるならと、ジョンは1試合に4TDをあげると約束します。全米No.1候補と言われたシーズンのペンステイツでしたが、1試合に4TDは至難の業です。スタンドにはもちろんジョーイがいます。試合はペンステイツ優勢で進み、ジョンがTDをあげる度に観客は総立ちになりますが、ジョーイは座ったまま指を1本ずつ折っていきます。差がつきはじめた試合でヘッドコーチはジョンのケガを心配してベンチに下げようとしますが、ジョンは志願してボールを前進させ続けます。

そしてついに4本目のTD。それまで座っていたジョーイの指が4つ折られた瞬間、彼も立ち上がり、兄に祝福の拍手を送ったのでした。

関東学連でも割引チケットを売り出すほどの意気込みで、彼女と見に行った私は涙を隠すのに必死でした。

もちろん、字幕で見ました。
ブログネタ:フラれた時の最後の台詞 参加中

私達の頃のアメフトの聖地は駒沢第二球技場でした。東京都が管理している土のグランドで、雨天時は使えません。アメフトの聖地だからといって、都が優先的に土日の予約をしてくれる訳でもありません。

まず予約は、月初めの1日の朝9時までに陸上競技場にある事務所に使用希望団体が集まり、2ヶ月先の月間使用希望日を申告、重複した日については抽選や話し合いで決めていきます。ここで運よく確保ができても、当日の朝に雨が降っていたりすると、第二球技場の管理人さんの「はい、今日は使えないよ」の一言で、当日移動の雨流れとなります。ただし、管理人さんが、グランドに来る朝8時の時点で雨が降っていなければ、試合はOK、一度使い出したら途中で大雨になろうと最後までやらせてくれていました。

当然のように会場の予約や、当日の開催確認、中止の場合の各校への連絡は学連執行部の仕事です。

スタンドのあるグランドで1試合でも多くやらせてあげたい、と望むのはもちろんのことでした。私達は一計を案じ、ある時期から公園管理事務所と第二球技場の管理人さんにお中元、お歳暮として洋モノのウィスキーを持参するようにしていました。

私が4年の秋の会場予約に公園事務所に行った時のことです。10月分の予約でしたから、8月1日です。秋の運動会シーズンということで前半は土曜日しか押さえられません。後半はアメフト以外に1つの団体が競合していました。それは「関東学生フリスビー協会」でした。まだ夏の浜辺でやるお遊び程度の認識しかなかった私達は「わざわざ第二や補助グランドでやるようなもんなの?」といちゃもんをつけました。相手は「アメフトはかなり押さえてるんだから譲ってほしい」と主張してきました。

ここで管理事務所さんの天の声が響きました。「アメフトは野球と違って連戦できないんだよ」この一言で彼らは引き下がりました。もちろん私達も鬼ではありませんから、土曜日を一日だけ譲ってあげましたよ。

そして、ポストシーズンの関東選手権準決勝の日。当日は朝から雨でした。高校野球の甲子園準々決勝が一番おもしろいゲームになるのと同様に、関東選手権準決勝は実力伯仲のガチンコ対決で、有料の観客も多く入る大事な試合です。恨めしそうに雨空を見上げながら、恐る恐る第二グランドの管理人さんに「おはようございます。今日は無理ですか?」と尋ねると「いつも気を遣ってもらってるからな。今日はやらせてやるよ」という神の啓示のようなお言葉をいただいたのでした。

ネタである「フラれた時の最後の言葉」の「フラれた」違いではありますが、無理矢理こじつけちゃいました。
ブログネタ:愛煙派? 嫌煙派? 分煙派? 参加中

ちゃんとした体育会系のクラブは大学が初めてだった私にとって、練習以外の生活面でもいろいろな変化がありました。
1年生は練習の前にグランドで準備をし、練習が終わればボール磨き、後片付けの雑用があります。クタクタになっても手を抜くわけにはいきません。
当時は今と違って男子のほとんどが煙草を吸っていました。練習後の一服がなによりうまいんです。アフターの練習が終わり、後片付けまでの間に1年生でも一服することは許されていました。
ただし、ショルダーを着けたままでは吸えません。最初はそのことを知らずに先輩にどつかれました。スポーツ用具を大事にするということを身をもって知ったわけです。
同じような話しとして、関西協会の重鎮として知られるH川さんにお聞きしたのですが、ある時K学の選手がヘルメットに腰を下ろしていたそうです。意外に気が短いH川さんは、ツカツカとその選手に近寄り、椅子代わりにしているヘルメットを外して怒鳴り付けたそうです。

もっとも何年かして、審判で訪れたある大学のグランドで、試合終了後にヘルメットに腰掛け、ショルダーを着けたまま煙草を吸っている現役選手を見た時には、学校によって文化が違うんだなあと思いました。