岩手・宮城内陸地震の翌日の15日、岩手大学バイソンズ対仙台ブラックボルツのオープン戦が岩手県立大学グランドで行われた。

仙台BBのレシーブで始まった最初のシリーズ。ランアタックで岩手大のDLを切り裂く仙台BBに対し、岩手大のD2列目以降が必死にロングゲインを食い止めるが、ジリジリと前進を許してしまう。岩手大ゴール前5ydからの攻撃をQB#4からWR#13へのパスで締めくくった仙台BBがまず先制した(ラン失敗で6-0)

対する岩手大OはRBがスクリメージを越えるのが精一杯で、攻撃に活路が見出だせないまま第1Qが終了した。

第2Qに入っても岩手大Dの1列目と2列目のコンビネーションが噛み合わず、仙台BBのRB#6に6ydTDを献上(キック成功で13-0)
しかしこの後、岩手大スペシャルチームが奮起する。第4ダウンで放った岩手大のパントを仙台BBのリターナーがファンブル、チャージで詰めていた岩手大#18がこのボールをピックアップして40ydのファンブルリターンTDをあげ(キック失敗で13-6)前半を追い上げムードで終了した。

しかし後半も仙台BBのグランドアタックは岩手大守備陣を攻めつけ、第3QにはRB#22が2ydランで追加点(キック失敗で19-6)
試合は最終第4Qに入り、岩手大QB#7が仙台BB陣18ydへロングパスを通すと、続けてWR#27へもパスを通し19-13(キック成功)と1TD差とした。残り時間が3分少々となり、仙台BBの攻撃をしのいだ岩手大だったが、次の攻撃はギャンブル失敗。最後は仙台BBのQB#4の6ydランでとどめをさされ25-13で仙台BBが勝利を飾った。
ブログネタ:こんなギネスの記録だったら挑戦したい! 参加中

日本のそれもアメフト審判での記録があるとしたら、おそらく私が持っているものがあります。(多分ですが)

それは「審判で笛を吹いたことがある都道府県」です。最初の赴任地である福岡時代には、福岡と大分。関東に戻って東京、神奈川、埼玉、千葉、栃木、長野。岡山時代には大阪、兵庫、岡山、広島、島根、山口、愛媛。仙台の時には宮城、山形、福島。現在の秋田では秋田、青森、岩手。全部で21ヶ所です。うーん、意外に少ないなあ。関西では京都や滋賀ではやってないし、北陸と中部、北海道は審判としては未踏の地。関東でも群馬や茨城、山梨、新潟では未経験ですね。

残りの人生を考えると、後2~3ヶ所増えるかどうかって感じですね。審判のおかげで日本全国どこへ行っても、すぐに現地に友人ができます。これはアメフトに感謝していることでもあります。

では、この記録に挑戦しましょうか。確実に迫ってくる「老い」との闘いでもありますね(笑)
ブログネタ:部活何してた? 参加中

中学に入ってまず入部したのが新聞部でした。年に4回、新聞を発行します。中学高校の一貫校でしたから、はっきり言って、左寄りの発想の先輩ばかり。そんな中で記事の書き方や新聞作りのノウハウを勉強、中2で朝日ジャーナルを読み、中3で「世界」を読むクソガキでした。

身体を動かすより口先が達者な先輩達に嫌気がさし、中3から高1までは吹奏楽部でラッパを吹いてました。後日知るのですが、意外にアメフト選手でブラスバンド経験者が多いのです。

こんな軟弱学生でしたし、運動は大の苦手。跳び箱が跳べたのが中3の秋でした。もっともこの跳び箱がきっかけになり、さかあがりすらできなかった鉄棒では蹴上がりから前転、後転までできるようになり、50m走では陸上部の次にクラスで脚が速くなるのですから、人間の能力なんてどこで伸びるかわからないものです。

高校2年の時にプロフェッサー健のカレッジフットボールが始まり、すぐに虜になりました。どうせやるならこういうスポーツがいい、と思いながら、大学受験。7戦して1勝6敗。早い話しが雉達以外は全敗だったわけです。

そして入学式の正門でのK先輩の「君、○稲○高校でしょ?」という勧誘につながっていくのです。

結局、中高の新聞部は部員がいなくなり、廃部。吹奏楽部は卒業まで続けなかったのでOBにはしてもらえず、アメフトではケガで選手としては役立たず。なんか中途半端な私の人生そのままの部活経験でした。
岩手大学バイソンズ


VS


仙台ブラックボルツ



於:岩手県立大学グランド

6月15日(日)14:00 kick off



秋のリーグ戦に向け積極的にオープン戦を組んでいる岩手大学、前回の弘前GSとの対戦では、仙台グリーンボウルの練習日と重なり主力を欠いた陣容でした。今回は29日の秋田こまちボウルに向けての最後の実戦となります。対する仙台BBは昨年の東北社会人チャンピオン。今年の新戦力も加わり、どのような試合展開を見せるか、注目の対戦になりそうです。
ブログネタ:頭にこびりついて離れない歌ってある? 参加中

生まれて初めての体育会の合宿は、群馬県の草津温泉近くでした。朝早くに学校に集合し、バスに揺られて現地に向かいました。
当時は監督が就任したばかりで、プレイブックを渡され、新人ながらチームの一員であるという自覚が少しずつ芽生え始めていました。

9泊10日の日程で、すでに夏のトレーニングは始めていたものの、朝から晩までフットボール漬けの毎日。6時半起床、9時から正午まで午前の練習、午後2時から5時まで練習、夜は8時から9時までミーティング。身体は初日の夜には悲鳴をあげ、いかに早く飯を食って、次の練習開始まで万年床で身体を休めるかということばかり考えていました。1年ですから、グランドの準備のために早めにグランドに行き、終わった後はボール磨きや用具の後片付け。それでも同期が10人近くいたので、こいつにだけは負けたくないという意地のようなものも手伝ってなんとか中日を迎えました。

中日は午前中の練習だけであとはオフになります。夕食まで身体を休めたあと、せっかく草津に来たのだからと、私達1年は揃って近所の散策に出かけました。まだコンビニなどはない時代です。近所のお土産やさんを冷やかし、喫茶店で一服などをしているうちにあっという間に午後10時の消灯時間を過ぎてしまいました。
「ヤバイ」とあわてて合宿先の旅館に戻ったのですが、すでに全館明かりは消えています。おそるおそる玄関を開けると、当時の4年で一番恐い先輩が玄関脇のソファーで私達を待ち構えていました。
「お前ら、合宿をなんだと思ってるんだっ!!」まず一喝されました。
「すみません、ハメはずしすぎました・・・・」ひたすらわびるしかありません。
30分以上説教されて開放されましたが、鮮烈な印象で覚えています。

そんな合宿も最終日になると、夕食に酒が出ます。(もちろんそのほかの時は禁酒)あの怒鳴りつけた先輩も、顔を赤くして上機嫌です。当然、盛り上がってくると「芸をやれ」という話になり、それは1年からという順番になります。
たまたま私は高校の先輩が多数在籍していたので、高校の時にはやっていた替え歌を歌ってなんとか責任を果たしたのですが、中部地方から来ていたAの順番になって、Aが困ってしまっていました。「なんでもいいから、やれっ」恐い先輩の檄が飛びます。おもむろに、上座に進んだAは「では、歌を歌います」と言って歌いだしました。

「あっちゃんはね、あっちゃんっていうんだほんとだよ。だけどちっちゃいから自分のことあっちゃんっていうんだよ、おかしいね、あっちゃん」

たったこれだけの歌でしたが、なぜか先輩たちに大うけでした。Aは本当はSという苗字なのですが、このときから我が部内では「あっちゃん」になりました。
いまでも、あの恐い先輩の一喝とAが歌った「あっちゃん」の歌が忘れられません。