夏が近づくと、恋しくなるのがビアガーデンですよね。今ではあまり見かけなくなりましたが、私が学生の頃には、デパートの屋上は、どこに行ってもビアガーデンがありました。アルコールが余り得意でない私ですが、ビアガーデンには思い出があります。





まだ5月になったばかりでした。それは今年2部に落ちてきた横浜の番犬との試合を横浜で行った帰りのことでした。試合は、雉達のエースRB、Sさんの独走で先制したものの、すぐに逆転され、TE、KさんのコースミスでフリーになったおかげのTDパスでなんとか引き分けた、という内容。私達は重たい防具をかついで、電車を乗り継ぎ、新宿まで到着していました。同行していたのは、同じS武I袋線に住むOさん、M千住の寿司屋のせがれKさん、東京のど真ん中で貸しビル業をしているUさんと私の4人でした。



「まっすぐ帰るのもなんだなあ」とKさん。新宿で乗り換えのために下車し、西口に出ると「ビアガーデン営業中」の文字が目にとまりました。「行くか?」同行の3人は同期なので、すぐにOK.私は拒否権など与えられない下級生ですから、「お供します」の返事すらさせてもらえずに、K王デパートの屋上直行エレベーターに乗り込みました。



ビアガーデンはもちろん初体験。下級生ですから先輩達の注文を通さなくてはいけないのですが、私は勝手がわからず右往左往するばかりでした。チケット売り場で人数分の大ナマを頼み、とりあえず乾杯となったのですが、この後、先輩から思いもよらぬ一言が発っせられました。

「うちの伝統で、1年は先輩にオゴることになっている」というのです。正式に入部したばかりで、新入生歓迎コンパもまだの時期でした。(そういうもんかなあ)と少々不信に思いながらも、ツマミ などのチケットを購入しました。そのときはまだ教科書代を持っていたので多少余裕もあったのです。


後日、この先輩たちから「あの伝統」はウソだったと聞かされました。もちろん、私達以降の代で後輩におごらせるようなことはしていません。結局、私だけがその生け贄になってしまったのでした。トホホ

3日続けて「試験ネタ」です。

関東学連に加盟するに当たり、まだ愛好会だった我がチームを学内的にも公式の組織にするため、日本文化学科の教授に顧問に就任していただきました。もちろんアメフトのことはご存知ない方でしたが、快くお引き受けいただきました。私達は1人を除いて経済学部でしたか、顧問の「日本史講義」は一般教養として単位取得ができる科目でした。

当然私達はこの科目を履修、出席率は余りよくなかったものの、他の一般教養教科に比べると出席率はよい方でした。
教授も初めての顧問だったらしく、たまに練習を見学されたり、授業の後には声をかけていただいたりしていました。

1年間の授業が終わり、期末試験の課題は「戦争体験に関する考察」でした。私達くらいの年齢だと、父母か祖父母に聞かないと戦争体験についてはわかりません。私は一計を案じて亡くなった祖母から聞かされたという設定で解答用紙を埋め、提出しました。

顧問が担当する教科だったこともあり、結果はAでした。ところが、成績発表の日に「あっちゃん」こと同期のAが渋い顔をしていたのです。「どうした?」と私が聞くと「『日本史講義』がD(落第)だった」と言うではありませんか。まさか、顧問が自分のクラブの学生にDをつけるとは思いもよらなかったので、「答案はなんて書いたの?」と聞くと「戦争体験なんて思いもつかなかったんで、今年のリーグ戦についてびっしり書いた」とのこと。

ここから顧問の教授とAの長く、ある意味くだらない意地の張り合いが始まったのです。Aは翌年も「日本史講義」を履修、期末の答案は、もちろんその年のリーグ戦の詳報でした。結果はまたしてもD。ちなみに課題は前年と同じ「戦争体験に関する考察」でした。

最終学年となった年、Aは既に卒業に必要な単位は取り終えていましたが、またも「日本史講義」を履修しました。私達の最終学年はリーグ戦でも聖人、緑の怪物に勝ち、三爪冠や優勝した雷にも善戦したこともあり、Aの答案は表だけでは納まり切らず、裏面まで使っての力作だったそうです。

4年次の成績は、卒業の可否のみの通知で、詳細は知らされません。Aが最終学年で「日本史講義」の単位が取れたかどうかは、顧問のみが知っているのです。