昭和50年、関東学連に正式加盟を果たした雉達。監督は鳥神のDBとして甲子園ボウルに出場経験もあるT田さん、コーチには監督の同期で当時の銀星で活躍されていたY木下さん、N瓜さんでした。昨日シトロンボウルで大勝した鳥神でしたが、その頃は部員が20人おらず、春や夏の練習では、私達が通い合宿をしてスクリメージをやっていました。

K王線の八幡山から徒歩10分、毎回駅の改札で待ち合わせをするのですが、相手は関東の一流チーム、いやぁな気持ちでグランドへの道を歩いていました。

私が3年に上がる年の春、雉達は12人しかおらず、鳥神も15人程度だったと思います。まだ鳥神にも新1年生は参加しておらず、それぞれが1時間ほど練習をした後でスクリメージを行うというメニューで実施されていました。雉側はけが人もいて、スタイルしているのは10人、QBはディフェンスに出せないので鳥神から2人DEとOLBを借りてのスクリメージが始まりました。私はラッキーなことに借りたDEとOLBサイドのDB、余裕があったので、パスカバーは完璧、オープンへの上がりも順調にこなしていました。一度逆サイドからのダウンフィールドブロックでひざを痛打、左ひざに爆弾を抱えている私はひやっとしましたが、1~2プレイの休憩でスクリメージに戻りました。もともとヘタレだった私がこんなに根性があるのかと自分に感心した覚えがあります。


当時の鳥神には、1つ上でDBのG田さん、オールジャパンのOL、Y越さん、突貫小僧のRB、S水さん、そしてなんと現盛岡の猛牛の監督さんであるS々木さんがいらっしゃったのです。つまり、S々木さんとはスクリメージで対戦しているわけで、ひょっとしたら私のひざに強烈なブロックをしたのはS々木さんだったのかもしれません。その他にもあの不死鳥の御大に「根性がある」と誉められたQBのM田、中高の同級生だったT田など、少人数ながら個性あふれるメンバーがいました。


考えてみれば4年時に駒沢球技場の雨流れで戸塚の聖人に勝ったグランドも八幡山だったわけですから、八幡山の鳥神グランドにはいい思い出とつらい思い出がある場所といえるのかもしれません。

「夢の超特急」と呼ばれ、昭和の高度経済成長期を象徴した初代新幹線「0系」が14日、引退を記念した「さよなら運転」で新大阪-博多間を3時間余で駆け抜け、44年の歴史に幕を下ろした。
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この「0」系新幹線には、開業間もない昭和40年に名古屋から横浜に親父が転勤する際に初めて乗りました。それ以来母親の実家である神戸に行く際にもしばしば利用していました。

高校2年の修学旅行では、朝6時に東京駅に集合、延伸された当時の終点である岡山まで乗車しました。

初任地福岡から帰省する時にも、よく利用していましたが、昭和50年代には博多-東京間が約7時間、富士山が見える頃にはお尻が痛くなっていました。

平成に入り、岡山勤務になる頃には、この「0」系は新大阪発の各駅停車になっていました。それでも乗車率は高く、西宮で審判を終え、岡山まで戻る便では通路に座ることもままありました。

考えてみれば、私の生活のシーンのかなりの部分に「0」系新幹線がいたような気がします。初めて見た富士山、ビュッフェで食べたカレーライス、使うあてもないのに持って帰った紙コップ・・・そんな思い出がたくさん詰まった「0」系、ご苦労様でした。
関東学生アメフト入替戦、旧さつきとして最後に登場した吉祥寺の欅は千葉の海神に9-3で辛勝、1年で2部復帰を果たしました。これで4大学は3部に目白の将軍と伊勢原の橙光線、2部に欅と我が雉達という布陣になりました。

また、札幌ドームで行われたシトロンボウルでは、八幡山の鳥神が川内の蜂達に70-14と大勝、まだまだ実力の差は否めないようです。
関東学生アメフト入替戦2日目の14日、旧さつきの結果です。

1部を目指した町田の三爪冠は池袋の走り屋と対戦、6-14とリードされた第4Q残り時間わずかでTD、TFPの2ポイントも成功させ、同点に追い付きました。しかし、タイブレークではFGの3点にとどまり、走り屋に3-6で敗れました。

エリアからの脱出を図る伊勢原の橙光線は甲府の飛竜と対戦、終始試合を支配し、47-0で圧勝しました。K山監督は私との約束を3年かかって果たしてくれました。
初めてTVK(テレビ神奈川)でアメリカのカレッジフットボールを見て以来アメフトとの関わりは35年を超えています。アメフトはいかにもアメリカらしい合理的なスポーツです。アメフトが日本に入って来たのが昭和9年。昭和40年代から50年代にかけてブームな時期もありましたが、ルールが難しいことからなかなかメジャースポーツの仲間入りはできていません。

審判となってからでも30年を経過、いろいろな地区でいろいろなチームの試合を見てきました。

アメフトに限らずスポーツは競技時間があって、その時間内に勝敗が決まります。実際にグランドにいて、いつも思うことがいくつかあります。

まず、アメリカでは試合が終わると両チームがヘッドコーチを先頭にグランドに入り、握手をグランド上でして健闘を讃え合います。日本ではキャプテンのみが相手チームに挨拶に行くだけです。1つの会場で複数の試合が行われるので仕方ないのかもしれませんが、一度アメリカっぽい終わり方を見てみたいものです。
その試合終了間際、残り時間が25秒を切って負けているチームにタイムアウトの残りがなく、勝っているチームが攻撃している場合、アメリカではプレイをせず、場合によってはそのまま上記の両チーム握手をしてしまいます。日本は時間が0になるまで試合を続けます。QBがニーダウンして時間を消化する場合がほとんどですが、最終戦の雉達はフィールドで手をつないで輪になり、バンザイしてました。まあ、日本的といえば日本的ですがね。

そして、一番「?」と感じるのは、ひたすら得点しようとするチームが多いことです。アメリカでは後半に入って30点以上差をつけて勝っている場合には、2本目、3本目の選手に実践経験を積ませるために1軍の選手と交代させて出場させます。日本でもかなりのチームがそうしていますが、中にはひたすら点を取ろうとするチームがあります。リーグ戦の得失点差が関係しているのかもしれませんが、合理的とは言えませんね。

このようにアメリカンなのに、ジャパニーズな部分も日本のアメフトにはあるのですが、日本の文化として咀嚼された結果なのでしょうね。