「夢の超特急」と呼ばれ、昭和の高度経済成長期を象徴した初代新幹線「0系」が14日、引退を記念した「さよなら運転」で新大阪-博多間を3時間余で駆け抜け、44年の歴史に幕を下ろした。
アメリカンフットブログ-m7529489.jpg


この「0」系新幹線には、開業間もない昭和40年に名古屋から横浜に親父が転勤する際に初めて乗りました。それ以来母親の実家である神戸に行く際にもしばしば利用していました。

高校2年の修学旅行では、朝6時に東京駅に集合、延伸された当時の終点である岡山まで乗車しました。

初任地福岡から帰省する時にも、よく利用していましたが、昭和50年代には博多-東京間が約7時間、富士山が見える頃にはお尻が痛くなっていました。

平成に入り、岡山勤務になる頃には、この「0」系は新大阪発の各駅停車になっていました。それでも乗車率は高く、西宮で審判を終え、岡山まで戻る便では通路に座ることもままありました。

考えてみれば、私の生活のシーンのかなりの部分に「0」系新幹線がいたような気がします。初めて見た富士山、ビュッフェで食べたカレーライス、使うあてもないのに持って帰った紙コップ・・・そんな思い出がたくさん詰まった「0」系、ご苦労様でした。