jp 英語が苦手である。フットボールの審判をやっていても、しゃべれないものはしゃべれないのだ。これまでに、海外の経験はわずか2回。最初の渡航は新婚旅行で、行った先はほとんど英語が必要ないグアムだった。これから始める物語は、その数少ない海外経験で実際に起きた珍道中の話である。


関東・関西の審判は、秋のシーズン前に本場アメリカで審判クリニックを受けられるという研修制度がある。甲子園ボウルやジャパンXボウルなど、国内の各ボウルゲームで笛を吹くことは、ある程度のベテランに割り当てがあるのだが、この研修に参加できるのも、それなりに中堅以上のメンバーということになる。


hs 私にその研修参加が打診されたのは、ある年のゴールデンウイークを過ぎたある日のことだった。冒頭に述べたように、英語が大の苦手である私にとって、本場のクリニックはとても魅力のあるお話ではあるのだが、言葉の点で躊躇する事柄でもあった。

ここで、前回のお話の最後に登場した、わが妻が再び登場する。「行ってきたら?」この一言で参加が決まった。まあ、ものは試しということもある。おそらくもう二度とお誘いがかからないという意味では千載一遇のチャンスなのだろう。こうしてパスポートをあわただしく取得し、航空チケットなども郵送され、渡米の準備が整っていったのだった。


最初のトラブルは出発前日に起こった。明日以降、1週間ほど会社を休むため、仕事の区切りをつけていたところに電話が入った。チケットを手配してくれた旅行代理店からだった。

旅「お客様のご予約いただいた便が欠航になりました。代替のルートでチケットをお取りしました」

私「そうですか。出発時間とかに変更はありますか」

旅「当初の予定でした午前10時から午後6時に変更になっております」

私「わかりました。チケットはどこで交換すればよいですか」

旅「成田の当社カウンターで承ります」

こんな会話があって、翌日の朝イチの出発から、多少時間に余裕ができた。


key 私には2人娘がいて、高校の修学旅行はそれぞれ海外だった。親バカだから仕方ないのかもしれないが、出発の箱崎エア・ターミナルまでと、帰国の成田は2人とも送迎した。妻も運転はできるのだが、首都高速や知らない道の運転が苦手ということで、私の送迎については、行きの最寄駅までのみということになった。妻に借りたヴィトンのボストンバッグに荷物を詰め、京浜東北→京成という乗り継ぎで成田に向かった。思えば、このヴィトンが悲劇の引き金になるのだが、そのときの私には、ワクワク、ドキドキしかないのだった。

                                             (続く)


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