私が息子を妊娠した時、それは私が数ヶ月後には38歳になる時だった。
担当助産師さんから「どうする?38やけど検査受けるか?」と聞かれた。
夫は検査に反対した。
どんな子供であれ、我が子を愛せるからだと言った。
私は迷った。
義父からは「上のこの為に検査を受けて欲しい」と言われた。
私は上の娘の時も担当してくださった助産師さんに相談した。
助産師さんは「私は個人的な意見として反対、受けるべきじゃない。親になりたいから産むんやろ?親になりたいから作ったんやろ?障害があったら育てられへん、自信がありませんて言うなら妊娠すらしたらアカン」と白髪のベテラン助産師さんに言われた。

私は検査を受けなかった。
助産師さんから「障害て言うけど、1000人いたら1000通りや。それに生まれた時にはわからないものが、4歳5歳になって確定する事だってある。その時になって、こんなはずじゃなかった、愛せませんて返品できへんねんで!どんな子でもあんたが望んで作った子や。その決意がなかったら、これから色んな壁にぶち当たる子育てなんかでけへんで!」と言われたからである。

今日は夫の友人が遊びにきた。
友人の息子さんは2年前に自分がトランスジェンダーであることを両親に打ち明けた。
当時通っていた大都市の大学に通えなくなり、人間不振になって実家に戻ってきた。
学生らによる偏見が苦しかったのが要因だった。
なかなか打ち明ける事が出来ず、本当に長い間苦しんだと思うと言った。
そうして先日、性転換手術を受けた。
この事を知っているのは家族と私達夫婦だけである。
友人の親友にも打ち明けていない。

悲しみ、絶望、自分が育て方を間違ったのかという自責、幼少時代に気が付いていたら、もっと本人が傷付かずに済んだかも知れない、それを繰り返し今は「私の娘」だと思えるようになったと話していた。
まさか23歳になった息子から、そんな告白を受けるなどと夢にも思わなかったと。
今は家族皆がサポートして家族は幸せで、本人にも同じくトランスジェンダーの彼女がいる。
私は友人の話を聞きながら、助産師さんに言われた言葉を思い出していた。
どんな子供であれ、育てたい、だから産んだのだと。
あの時言われた言葉は、私の中で壁にぶち当たっても、絶対に愛情で乗りこえてみせるという魔法の言葉となっている。
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