さて義母の引っ越し先が決まった。
夫が見つけた借家である。
犬もOK、ベッドルームが4つある大きな家で、義母の捨てない荷物が全て持って行ける。
とりあえず、そこに半年間借りし、その間に義母が買いたい家を探す事になる。

相変わらず「誰かがやるであろう」と荷造りをしない義母に私は顎が外れそうになるほどのストレスを感じていたため、首と胸、頭に痒みの発疹が現れた。
夫から感謝の言葉と共に「手を引いてくれ」と言われ、私は義母の引っ越しの手伝いを一切しない事になった。

それでも仕事の無い日は、相変わらず義母の為に売り物件をネットで探し、義母に情報を伝え、それを義母が見に行くというのだけは続いている。
結局、私はやってしまう性分なのだと痛感する。
そうする方が、黙認するより自分のストレスがマシなのだろうと、今更ながら自分の性分を分析してみたりした。

義母が借りる家とは別に、「そうね、ここなら買っても良いかも」と思える物件を私が3つ探したのは3週間前の事。
役立たずの不動産屋よりも、私の方がよっぽど要望にお応えしとるがな・・・と思い、義母はその家を見に行った。

今朝、3つ目の家を私の出勤前の朝9時から義母と2人で見に行った。
今まででサイコー!!嬉し泣きベートーヴェン第九「歓喜の歌」が私の後ろで流れてますがな・・
ようやった・・ようやったで・・アンタ、よう頑張ったやんや・・

義母はこの中から選ぶような選ばないような発言をしているが、私の中ではこれがベスト3である。
もう私に紹介出来る物件はカーライルに無い。
立地、値段、質・・どれを取ってもこの上は無いと確信できる。
私は「この3つが、私の中ではベスト3。もうこれ以上は無いと思う」とだけ伝えた。
この3か月間の全てが終った。。そんな達成感と脱力感を抱く私に、義母は感謝の言葉を言ったことなど一度も無い。
「あんたの時間を物件探しに使ってくれて有難う」そんな言葉を期待したわけでもないが、「一緒に来てくれて有難う」「助かったわ」。。。無いわな・・

あーアホくさ!!!と100万回思った。
しかし、これが私と夫の親孝行の形なのだと思う。
親孝行とは、親が満足しているいないは関係なく、子が親にしてやれる事の満足感こそが「親孝行」なのかも知れないと、義父を亡くした日から思うようになった。
それは、いつか親を見送る日が来た時に、潔く満足感に満ち満ちて見送る事が出来るか否かの、自分への満足貯金であると気が付いたのは、義父の葬儀の日だった。

涙を一切流さず葬儀を終えた夫を見、その横で「俺さえ傍に付いてやっていれば、こんな事にならなかった」と棺桶を抱えて泣き崩れる夫の兄弟2人を見た時、私は義父の死から学んだことが明確になったような気がしたのである。

「有難う」が無くて良い。
しかしいつの日か我が身が義母となった時、息子の嫁と娘の夫には感謝の気持ちを述べた方が良いと学ぶ。
これもまた、義母のおかげナリ。

人気ブログランキングへ