
「気がはればれしないこと。気がふさぐこと」を広辞苑では憂鬱という。さして特別な感情ではない。理由が明確であるときもあれば、「なんだか憂鬱」と漠然としたモヤモヤ感が体中充満する時もある。今この瞬間にも、地球上、何千何億の憂鬱が沸いては消えているのだろう。
北川悦吏子脚本の『ロングバケーション~Long Vacation~』。男女の憂鬱が繊細に描写された作品で、小説と同じく、最初のページから最後のページまで読むとやっと物語の神髄が解る。長年、キムタクのドラマを観続けてきた自分にとって最高傑作のひとつである。月曜は街からOLの姿が消えると言われていたくらい、世の中の人がみんな月9ドラマにかじりついた時代だ。今みたいに、オンデマンドで好きな時に好きな番組を観るといった糞見たいな、わがままし放題の時代じゃない。
瀬名: 「何をやってもダメな時ってあるじゃん。うまく行かない時、そんな時はさ、神様のくれた休暇だと思って、無理して走らない、自然に身を任せる」
南: 「そしたら?」
瀬名: 「そのうちよくなる」
僕も何もをやってもダメな時が続いている。立ち止まると衰退するかも、、という強迫観念に駆られて、馬鹿みたいに走り続けているが、疲れるだけで何処にも到達しない。周りを見ると、大して走らずボケっと同じ場所に留まっていた連中のほうが先に進んでいるようにも見える。そんな景色が毎日続くと、いい加減走るのも止めようかと思ってくる。けれど、走らないともっと結果が悪くなるのかもしれないと怖くなって走り続けてしまう。
人生は結局自分で価値を決めるしかない。相対評価で捉えると、今の僕みたいな憂鬱な心境に悩まされ続ける。「隣の芝生は青く見える」ものだと解ってはいるが、自分の人生は、これまで無数の分岐があって、正しい分岐方を進めてこれたのか解らない。物事は光の当て方で明るくも見えるし、暗くも見える。光は自分で当てるしかない。他人の真似した当て方をしても、結局は他人の価値観だ。
50代に入った自分は、そろそろ相対評価をやめなければいけない。自分が本当にどんなキャリアをこの後形成していきたいのか、他人ばかりを気にしてないで、自分の中で考えなければいけない。そうは思うのだが、直ぐに考えをスイッチできない性格だということも解っている。