本門寺公園_20231104 | willfreemanのブログ

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no man is an island


11月3連休は遠出はせずに近所の散策程度で過ごしている。息子の体調がやや良くないので遠出は控えることにした。今日は午前中に車で出掛けてみたのだが途中で息子の具合が悪くなり急遽引き返した。午後に入って調子が戻ってきたので、2人で散歩に出掛けた。
今年は猛暑で11月に入っても全然寒いといった気温ではないため紅葉がほとんど進んでおらず、本門寺の木々もまだ青々している。それでも所々に少しだけ色づき始めている木があったりして、何とか秋を感じることができた。
団栗や松ぼっくりを探しながら歩いたのだが、息子とこうして歩いていると、自分の子供の頃が自然と思い出される。その時は、今の息子が自分で、僕の隣を歩いてくれたのは母親だった。車の運転免許を持たない母だったので、出掛ける場所は近場か電車で行けるところに限られていた。それでも、いつもふとした瞬間に思い出す子供の頃のシーンは、母と出掛けた場所が多いかもしれない。

母は11月に老健から新しい施設に移った。いよいよ終の棲家になるのかもしれない。今日は施設管理長と電話で話をして、入所後の様子を詳しく伺った。老健でのリハビリがイマイチだったのか、色々と介助が必要な状況だ。ただ、元々排他的な性格ではない人なので、終始穏やかな様子で笑顔で生活できているとのことで安心した。

7月に老健で母と面談した際に、母の記憶から僕が完全に消えていることが分かった。話していると、アイデンティティ的な部分は、僕が長年生活した実家の頃ではなく、母自身が実家にいた頃に戻っているような様子だった。結婚をして2人の子供を成人させ、自分自身の老後人生の時間を楽しんだ後、色んな荷物を降ろし始め、僕と面談した時には全部降ろしきってしまった後のような様子だった。

自分の存在を忘れられるということに対して、初めはもの凄く悲しいことだと思った。記憶こそがその人との繋がりを証明する唯一の方法だからだ。その記憶が一切失われるということは、ほぼ死んだも同然だと思ってしまったからだ。けれど、母と面談した際、振り切ったような爽やかな物言いや表情を見ていると、それで良いんじゃないかと思うようになった。人は生まれてから死ぬまでずっと同じ役割を続ける必要はなく、その時その時に求められる役割を確りと務め上げることが重要で、役割をきちんと果たした人は、後ろ髪を引かれることもなく、次の人生にまっすぐに向き合えば良いのだと思った。

今日は11月には相応しくない生温い気温がずっと残るような一日だった。こういう気温差が体に堪える年齢になってきた。体調を整えておかないと、仕事も勉強も力が入らなくなる。健康は常に大事だと思いながら、つい暴飲暴食で胃を痛めてしまう。連休中に出来るだけ体調を戻して、また来週の仕事を確りとやっていきたい。