
2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM8.8の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で甚大な被害。また12日午後、福島第1原発で爆発があり、建屋の壁が崩壊したものの原子炉を収納している格納容器には損傷なしという状況が起こっている。

地震が発生した時、僕は仕事でさいたま新都心に向かう京浜東北線の中だった。東十条駅を発車する時に突然ガタガタしたのだが、単に電車がボロいからだろうと思っていたが、何となくいつもよりガタガタ感はある気がしていた。ただ、誰も電車を降りないし、まあ大丈夫だろうと思っていたら、赤羽駅手前数百メートルのところで電車が激しく揺れだし、緊急ストップした。ストップした後も何度も揺れが発生し、車内アナウンスや携帯ワンセグで凄い地震が発生しているのが分かった。揺れは凄いときは電車が本当に横倒れするくらいのレベルで、倒れた時の体勢をどうしようかと真剣に考えるくらい深刻な状況が続いた。1時間以上車内に居た後、アナウンスが流れ、降車して徒歩で赤羽駅まで避難することとなった。この画像は電車を降りた後、線路沿いを歩いた時に撮影をしたものだ。

赤羽駅に取り敢えず着いたが、当然土地勘もないし、会社には何とか連絡がついたが、戻る手段もなく赤羽駅近辺で結局夜の22時くらいまで時間を潰すことになった。南北線が動き始めたので、相方にメール交信でサポートしてもらいながら、赤羽岩淵駅まで歩いて後楽園駅まで移動し、そこから三田線で大手町まで戻った。地下鉄に乗っている時は本当に恐怖だった。また揺れが発生したら、今度は簡単に脱出できないし、こんなところで何時間も閉じ込められたらと考えるだけで、早く大手町に到着してくれ!とずっと思っていた。そして、無事大手町に到着し、皇居前の地下鉄出口から地上に出た時は、非常な安堵感と会社に戻れることで何か救われたような気分になった。
会社に戻った後、非常食を食べたり、同僚と話しながら時間を潰した。0時を過ぎた頃から徐々に鉄道が回復し始め、深夜14:30頃に同僚と一緒に半蔵門線大手町駅から渋谷まで行き、そこから東急東横線で無事帰宅することができた。帰宅時間は4:30だった。家は耐震対策をある程度していたため、書棚等も倒れず被害は軽微だった。本日(3/13)時点でも余震は時々発生し、テレビも特番のみの状態で、明日からの仕事も一体どのようになるのか全く先が読めない。