深淵にふれる

深淵にふれる

膠原病を自然療法で克服し、その後の人生あらゆることが好転しちゃった実体験を綴っています

病気の人寄りに綴っているけれど

「なんか上手くいかない」と感じている人にも

通づる内容になっているので良かったら読んでみてね⭐︎

生きづらさが病気を引き起こすキッカケだから。

 

 

 

 

前回の投稿の最後に

病気の人について綴ったのだけど。

今朝、ふと気づいた。

 

【条件付きの愛で育てられた人】や

【病気になる人】って「私」が強いよね。

私が、私が、私が、

ここにフォーカスされちゃってる。

 

 

本来、私たちは

すでに「豊か」である。

 

ここでも質問という形で示したように左下矢印

 

 

呼吸ができていること。

臭いを感じられていること。

指が勝手にお箸をもって

食べ物をちょうどいい位置に

運んでくれること。

段差を目の前にすると

勝手に足があがってくれること。

・・・等々

 

【無条件の愛で育てられた人】は

こんなことは、幼少期から

あたりきしゃりきで

普段、意識にも上がることなく

楽しく生きている。

 

【条件付きの愛で育てられた人】は

ここに、わざわざ

フォーカスしまくって

ない!ない!って言ってる状態。

病気の人もね。

 

この比喩、伝わるかな?うーん

 

 

で、ここから

どうやって抜け出せたかな?

と、今朝 考えたとき。

 

うつみん のところで

一番最初に学んだことは

自分は、

この地球上の一サイクルであり

生物であり、人間だってこと。

 

通院の第一日目に

この講義を4時間も受けた!

「全体像の仕組み」を理解していないと

どんなに、自己啓発とか

高額セミナーやコーチングとか

カウンセラーとかセラピーとか

病気が治った人の書物などを読んでも

表層を行き来していることになる。

各分野を否定しているのではないよ

自分がどの状態で取り入れているかってこと

 

 

 

私自身が経験しているので

よく分かるのだけど。

【条件付きの愛で育てられた人】や

【病気になる人】は

いつも目の前のことしか見てない。

目の前のことに反応して

あたふたしている。

 

目の前の段差に転けたら

もう一度「足を上げるだけ」なのに。

「誰かに見られなかったか?」

「誰かに笑われたんじゃないか?」

「なぜ、足が上がらなかったのか?」

「なぜあそこに段差が!?」

「足を上げられなかった私なんて」

「もうこの足なんて嫌いだ!」

「恥ずかしくて生きていけない」

こんなことを、ずーーーっと

握りしめてモヤモヤしている。

もう一度、足を上げるだけで

済むことなのに(笑)

 

これを、日常の あらゆる

シチュエーションで繰り返している。

 

ここに気づいたとき、大笑いだったよ笑い泣き

こんなことに何年も何年も

時間と労力を費やしてきたのかと。。

 

 

 

で、

「全体像の仕組み」

これを一番わかりやすく

説明しているのが、コチラね左下矢印

 

結構前にちゃんと書いてた!笑

 

自分は、

この地球上の一サイクルであり

生物であり、人間である

 

自分

 ↓

人間

 ↓

生物

 ↓

地球の一サイクル

 

ザックリだけどw

こうして捉えて生活し始めると

自然と姿勢が変わってくる。

 

例えば

お風呂場ってすぐカビになるでしょ。

過去の私はカビキラーを使っていた。

自分の家のお風呂場さえキレイであれば

いいと思っている行為だよね。

でも、この液体の汚染が

川や海に流されているとしたら

巡り巡って、結局、

私は、私を殺している。

 

今、里山でお庭付きの家に

住んでいるのだけど。

いろいろなタネが飛んできて

無いはずのお花が咲いたりするのね。

結構、ボーボーだったりする(笑)

それを見た、隣人の方たちから

「草刈機、貸そうか?」って言われるw

お庭って人間が創り上げたものなので

自分(ここでは家主さん)が

植えたもの以外は「雑草」となり

殺す対象になっちゃうんだよね。

この経験から、今度は

森の中に住もう!と決めてる。

雑草扱いしなくていいから。

 

食の選び方や食べ方に関しても。

オーガニック系の人たちが

豆類やナッツが体に良いといって

走りがちだけれど。

現代は、専門の人がつくって

収穫してくれて、それが袋詰めされ、

私たちはそれを買うだけ。

でも本来、野生動物(生物)として

食べ物を探しているとき

ナッツをあんなに摂って食べる?

袋詰めされているから

何も考えないで食べちゃうけど。

豆類もあんなに凝縮して摂るかな?

うつみんは、豆類もナッツも卵も

タネという性質を 体に直に

受けてしまうと仰っているよね。

 

こういったように

抽象度を上げて、物事を捉えていくと

より多くの情報が見えてくるし

その辺の情報に惑わされなくなるし

今までの行動や生活スタイルが

全く変わってくる。

【抽象度】とは

物事を見る視点の高さ

 

これは、心も同じ。

精神(心)については

過去投稿で色々綴っているので

良かったら読んでみてね⭐︎

 

【条件付きの愛で育てられた人】や

【病気になる人】は

世の中をもっと俯瞰して見ることが

抜け出せるきっかけになる⭐︎

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

 

今日はちょっと重いかもしれぬ 真顔






母は、私が物心ついたときからすでに
宗教にどっぷりんこな人だった。
教会の向かい側に
宿泊用のお部屋を借りていたほど。

幼少期に養女としてもらわれていったから
「私は存在してはいけない」という
"思い込み" が出来上がったんだよね。

でもね、

育ての家はとっても裕福なの。
母の若い頃の写真を見ても
当時、流行っていたパニエワンピースに
きちんと写真館で撮ったものばかり。
お稽古事も何でもやらせてくれて。
ご近所の人たちが、まだ子供だった母に
お辞儀をしてきたとか。

そんな裕福な家にもらわれても。
宗教にハマっちゃうのだから
物質では「心は満たされない」

ってことが分かるよね。

私も10代の頃、
ファーストクラスで海外へ行ってた。
でも、子供ってそんなのどうでもいいんだよね。
それよりも家族で、近所の公園に行って
ピクニックをしたこと。
そっちのほうを鮮明に覚えている。
貧乏生活も経験しているから
マグロの缶詰め一個を
家族みんなで笑いながら食べあった
そっちのほうを鮮明に覚えてる。

物質では、やっぱり満たされない。。

 




私の家族の場合は

ちょっと特殊なケースだと思う。

 


「私は存在してはいけない」は

ほんとうに些細な出来事から始まり。

 

その"思い込み" をもつ母親に
育てられた子供たちは

もれなく、多大な影響を受け、
「存在してはいけない私」として成長する。


私は、自分で起業して
ハイクラスな生活を手にしたことで
こんなに頑張ったから
「私は存在していいよね?」と
世間にアピールしまくってた。

いつも、生き急いでいたし

得体の知れない恐怖感や

モヤモヤ感があるので

さらにそれを行動でかき消して

充実っぷりをアピールしてた。

もちろん、本人無自覚 絶望

楽しんでると思い込んでいたあせる


ニュースにも上がるような
電車内で暴走する人たち。
援助交際や自傷行為をする人たちも

経験してきたことは違えど
心は、同じだよね。
「私は存在していいよね?」と
自分を傷つけながらアピールしてる。

何の番組か忘れてしまったけど。
ストリッパーの女性の特集をしていて。
不特定多数の男性に強姦されたご経験があり。
でもね、その方、
「嫌じゃなかった」って仰ったの。
「構ってくれる人がいてくれる」
そう、思ったと。
絶対、嫌に決まってるじゃん。
本当は嫌に決まってる。
でも、それほど心は壊れていて
自分の存在価値を求めていたんだと思う。


 

 

「条件付きの愛で育てられた人」ほど
「私は存在してはいけない」という
”思い込み” をもってしまうのだけど。

【条件付きの愛情】

子供が何かに対し、行動を頑張ったときや

成果を出したとき、上手くやれているとき

親の都合の良いことを子供がしてくれたときや

親の要望に応えてくれたときにだけ

愛情を示してくれる。


そもそも、許可なんていらない。
この世に生み出されて

すでに存在しているのだから

それがもう「事実」だよね。
その「事実」以外、何も必要ない。
わざわざ、外側から
存在の許可なんてもらわなくていい。
 

「あ、許可いらなかった」

ここに気づくだけ真顔

 

 

古い価値観をもったままだと

私のように、いくら

経済的な豊かさを手に入れても

どこかの段階で

強制終了がかかる チーンあせる

 

同じような境遇の友人たちのことも書いたよ左下矢印

 

 

でも、

ここが腑に落ちると。


今までの

「失敗する自分は価値がない」

「良い子でいないと愛されない」

「頑張らないと認めてもらえない」

「優しくしないと離れていく」

「明るくしていないと悲しませる」

 

こういった「不安」や

「恐れ」が止んでくる。

 

そして、もう

 

「どうしたら認められる?」

「どうしたら愛される?」

「どうしたら私を見てくれる?」

 

 

ここから自分の行動を選ばなくていい。

無自覚だから気付きにくいけど。。

 

私は、気づけたとき

積極的に行動したくなった。

で、どんどん

やりたくないことをやめ、

やりたいことをやって

自分を大切にしていたら

世界も大切にしてくれるようになり、

マネタイズという豊かさがやってきた。

結果を出そうとかいうのではなく・・・

出ちゃうのニヤニヤ  ←ココ大事

能力があるとか無いとか関係ない

 

 

 

難病や末期がんなど

”重め” の病気を患っている人は

握りしめ続けているものがあると思う。

メリットがあるから、わざわざ、

その重い症状をもつ。

「痛みを取りたい」とか

「薬をやめたい」とか

病気を克服することがゴールでは

なかなか進みづらいと思う。

大切なので、もう一度言うと

その症状になることが

自分にとってのメリットだから。

表向きでは治りたいのに

深層では望んでいる。

 

病気(症状)は

「生き方がズレちゃっているよ」

という、体からのお知らせ。

このズレに気づくには

やりたくないことを

やめないと見えてこない。

そこに勇気が持てるかどうかクローバー

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

人は

楽しそうなところに

吸い寄せられる音譜

 

これって

大人になっても、その感覚で選ぶし、

子育てにも、言えるよね⭐︎

 

 

 

 

うちの両親って

ほんと、楽しそうにしているところを

見せてくれる人じゃなかった。

いつも何かに追われてた。。

 

そうなると

当然ながら子供は

「この世界って怖いところなんだ」

「この世界ってつまらないんだ」

「この世界って厳しいんだ」

って、心に刻むよね。。

 

そんな中、唯一、

かなりご年配だったのだけど

ピアノの先生がいつも楽しそうで。

レッスンへ行くのが楽しみだった。

ピアノが好きになるように

教えてくれたし。

何より先生が楽しそうに弾くから。

幸せな気持ちになれた♡

 

 

 

子育てって、

私は、姉の育児ノイローゼの時に

あずかった経験だけなので

偉そうなことは言えないけど。

 

精神分析的にみると。

自分が子供だったら、という

視点からみると。

 

親が楽しそうにしているか?

最高な人生を送っているか?

だと、思う。

 

両親が毎日楽しそうだったら

「早く大人になリたいなあ」

「この世は自由だから」

「自分は何して楽しもっかなあ」

って、ワクワクする。

 

友人の中でも

子育てが上手な人がいて。

子供に対し

「〇〇しなさい」とは言わない。

自ら、楽しそうに

その行動をするんだよね。

 

例えば、勉強なら

「ママね、この勉強すっごい楽しいんだー🎵」

「ママ、もっと〇〇になっちゃう♡」

「ヤッホーィ 最高っ!!!」

と、子供たちが集まる

リビングルームで楽しそうに。

だから、その友人の子供も

言われる前から、楽しそうに

 ”勝手に” 勉強してる。

 

子供は 絶対、

親のすべてを見てるよね。

 

うつみん も、よく

「子供の洞察力なめんじゃねー」

って、仰ってるね。

普段のあの毒舌っぷりでも

子供と遊ぶときは全力だし!笑

都知事選のときも

もちろん大変であって

真剣でもあるけど。

「祭りじゃ!」と

楽しむが「前提」だった⭐︎

 

うつみんのことは嫌いでも

その概念は、嫌いにならないでくださいっおーっ!

 

 

今の、里山生活もね。

ぜーーーんぜん興味なかったのに。

楽しそうに農業をやっている人、

楽しそうにガーデニングをやっている人、

つい、吸い寄せられて

仲良くなって

時々、お手伝いするようになった。

 

その人たちが

「楽しそうにやっているから」

それだけだよ照れ

 

 

 

自分が人生を楽しんでいれば

世界は平和になるってことだよねクローバー

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

姉夫婦が

今年、離婚したのだけど。

 

数十年間、

ずーーーっと同じ悩みを

聞かされてきた(笑)

長すぎて ウケる昇天

 

その愚痴の内容は

お互いが

自分の本性を隠したまま

なんとか自分にとって

都合のよい夫婦関係に

しようというもの。

 

どちらも

「条件付きの愛で育てられた人」だから

本性を出すと、失いそうで怖いし

相手のことも信頼できないんだろうね。

 

 

 

義兄が、まだ独身だった頃、

自宅がまるで合宿所のように

いつも友人たちで溢れていて。

今も、旅鴉のように

友人の家を転々と泊まり歩いている。

 

姉は

イメルダ夫人かっ!?っていうくらい

一時、ショッピング狂いしていて。

今は、大量に食材を買ってきては

スイーツを何品も作って

すっごい食べまくってる!笑

 

この行動だけでも

二人がどれだけ愛に飢えているのか

わかるよね。

 

穴埋め作業に必死 無気力無気力無気力

 

 

二人の間の いざこざって

全て、自分の母親に言ってるんだよね。

表面上の発言はどーでもよくて。

自分を繕うためのウソってこと(笑)

 

 

本心は

 

「なぜ愛してくれないの?」

「なぜ振り向いてくれないの?」

「なぜ私を見てくれないの?」

「私を見てよ!」

 

 

母親に叫んでる。

 

 

 

これって

「自分との対話」によって

自分のことをわかっていれば

相手にぶつけることはない。

 

でも、

それができていないから

「夫婦問題」という別の形で

再配達されてる。

 

 

義兄は

「臭いがわからない」

「肺が弱い」

陰陽五行でいうと

鼻も肺も「悲しみ」だから

自分の幼少期の感情と向き合って

”感じ切れば”

姉をコントロールしよう

なんて思わないし、

症状もなくなるかもしれない。

 

姉は

「乳がん」「子宮筋腫」

どちらも女性性の臓器だから

女性として生まれたことへの否定や

無価値感など根深いものと

向き合う必要があるかもしれない。

「急性肝炎」になったこともあって

肝臓は「怒り」の臓器なので

相当、溜まりまくっている。

それをひた隠しにしているのだけど

前述した通り↑ 

普段の行動に現れちゃってる!

 

 

 

「条件付きの愛で育てられた人」は

とにかく特別な自分でいたくて

仕方ないんだけど。。

自分もそうだったからわかるチュー

 

 

そこを握りしめている間は

現実は変わらない。

 

 

むしろ、

自分もパートナーも

「条件付きの愛で育てられた人」

ということを認めて。

子育てがうまくない未熟な親に

育てられたことを認めて。

こういうことに↑ 気づく前に

今のパートナー(夫や妻)を

選んでいることを認めて。

ああ、自分って

そういう人生を生きてきたのね

今、そこの立ち位置なのね、と

サクッと認めることができたら。

相手のことがスーッと理解できて

現実が良い方へ動き始めるんだよね。

 

ついつい、目の前の問題に

目を向けがちだけど。

 

夫婦で話し合う前に

自分に対して

やることいっぱいあるよねパンダ

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

ある程度の歳が来ると

 

「このままじゃ老後が不安」

「老後の資金を貯めておかないと」

 

って、話題になるよね。

 

 

 

昨日、入ったカフェの

隣の席の人たちが

そんな話をしていてにっこり

 

気持ちは理解できるけど。

 

 

 

「前提」が暗すぎるっ ネガティブあせるあせる

 

 

 

心の仕組みでいうと。

 

不安で、貯めたり

懸命にそれを守っていると

当然 失くなるよね。

 

「不足」の立ち位置だから。

 

 

お金は

【人生楽しむための道具】

 

 

 

老後もガンガン楽しんじゃうよ〜

そのための、貯金 キラキラキラキラ

 

この立ち位置になると

貯金する過程も楽しめるよね。

普段の仕事の姿勢も変わってくる。

姿勢が変わると収入も増える。

 

好循環アップ

 

 

お部屋のお掃除がメンドー。。

おもしろくない。。

やりたくないんだけど。。

彼、彼女が来る!ってなったら

突然、張り切って

片付けられるよね(笑)

Have to がコロっと want toに♡

 

そんな感じ⁈  ニヤニヤ

全然、例えになってない??

 

 

この場から、失礼してお願いキラキラ

コメント、シェア、リブログ

ありがとうございます!!!

(嬉すぃ〜〜〜ラブラブ

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

私は膠原病という難病を

「自然療法」のみで

克服することができた。

ご興味ある方は→ コチラ

 

・・・・・・・・・・・・

病気については

先天性のものもありますので

ここでの内容は

あくまで、私の経験上のものと

どうぞお含みおき下さい。

・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「自然療法」っていうと

食事が中心って思われがちだけど。

 

食事療法は、あくまでオマケ。

今だから↑ 実感する。

 

取り組んだことは

 

自己分析:9

食事、他:1

 

この、割合。

 

 

自分の中で

なぜ、克服できたのかな?

それも短期間で。

と、改めて考えてみたんだけど。

 

おそらく

 

結構な感じで

 

割合、大きめで

 

 

うつみん の毒舌(笑)おーっ!おーっ!おーっ!

 

 

 

これって

何事にも言えると思うんだよね。

 

 

ライザップに通う人や

高額コーチングを受講する人って

自分に【負荷】をかけないと

「やらない」って

わかっているからだよね。

高額なのはもちろん

ライザップもコーチングも

短期集中ガツン系でしょ。

お金を払わないと情報はない!と

思い込んでいる人もいるけど・・・

 

 

私、身長170センチで

65キロまで太ったことがある。

クロワッサンに

ハマった時期があってw

そこから宅トレで15キロ落とした。

 

起業も、本を読んだり

その都度、ネットで調べまくって

トライアンドエラーしながらの独学。

これは私の意志が強いからではなく

自尊心が低いから出来ているw

あと、恐怖ねw w

 

 

実は、無料でできちゃう。

 

 

ビジネスに関しては

時間=命だから

規模によっては

さっさとお金を払って

前進したほうが良い時もあるけど。

 

 

 

膠原病という

難病になったときは

西洋医学の病院では

「治す術がない」と言われたので

独学で治すしかないなぁと思い、

いろいろ調べまくった。

ただ、その頃、

左目が、待ったなし!の状態で

悪くなり、手術になる前に

東洋医学を基本とする

うつみんクリニックへ

相談しに行ったの。

 

で、実際

左目の進行もあったので

半年ほど通院したのだけど。

 

通ってみて、思った。

 

 

無料で、できたな・・・ニヤニヤ

 

 

 

 

うつみんクリニックは

【自分の病気は自分で治す】

 

この術を習得するところなので

基本、何も教えてくれない。

ぜ〜んぶ、自分で調べる。

調べた方法を試してみて

失敗を繰り返しながらも

自身を「健康」へと近づけていく。

 

 

結局、人間って

【負荷】をかけないとやらないw

 

 

診療代は→負荷代だった。

 

私が収集した情報は

ほとんど無料のネット上か

本屋さんでの立ち読みだし。

うつみんの毒舌(負荷)によって

約半年の間、

モーーーレツに行動できた。

毎日、目の奥がズキズキ

眼精疲労になっていたほどw

 

で、無事克服♡

 

とくに、私の場合は

薬を服用していないこともあって

毎日、激痛だったから

その相乗効果もあったと思う。

 

 

 

結局のところ

やるか、やらないか。

 

コレだと思う。

 

実際、自分が行動してみて

わかったことだけど。

 

例えば、望みが

「病気を治したい」であれば

自分で治せる方法(答え)が

うつみんのSNS上に

無料でわんさか載っている。

(どんな病気にも当てはまる)←ココ大事

 

でも【負荷】がないから

やらないだけだったんだよね。

 

私は、医療の

「専門じゃないもん」と

思ったこともあったけれど

これは「逃げ」だった。

 

自分の命を

”他人任せ” にしているのは

自分自身なのに。

 

何か問題が浮上したら

医療(他人)のせいにする。

 

自ら何も行動していないくせに。

どんだけ被害者ヅラ!? 笑

 

難病という病気になるまで

「欲望」の赴くまま

生きてきたこともそうだし。

別の形で 体は「お知らせ」をしている

本人が無視(気づけてない)

 

そもそも、もっと前から

この【一つの命】を大切にしながら

生きることも出来たはず。

自分の命を粗末にしているのは

当の本人だなって痛感した。

ここに気づけた。

 

 

結局

やるか、やらないか。

何事においても、これ。

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

本当に「心の仕組み」って

面白いなあって思うんだけど。

 

「自分を大切にする」

 

ここを意識して生き直したら

世界(現実)が大切にしてくれる。

 

それが当たり前になった♡

 

 

 

「このままの自分には価値がない」

「私にはもっと〇〇が必要」

「私は人から好かれない」

「現実は甘いもんじゃない」

「世界は厳しい」

 

こう思っていると

(「信念」「前提」をもっていると)

ちゃんと!? 

そう思わせてくれる

人間と出会う。

自分に優しくしてくれない

自分を軽く見てくれる

自分を蔑ろにしてくれる

自分を過小評価してくれる

自分を無視してくれる

そんな人間と出会う。

ときに、それが友人だったり

夫だったり、上司だったり

お店の店員さんだったり

道ですれ違う人だったり。

それは、人だけでなく

「あーやっぱりね・・・」って

証明させてくれる

出来事としても やってくる。

 

その原因の震源地が

【自分】とは思わないから。

 

一時的に

優しくしてくれる

向き合ってくれる

包み込んでくれる

そんな相手や

 

一時的に

自己肯定感を上げてくれる

仕事にのめり込んだり

高額コーチングを受けたり

スピリチュアルにハマったり

「対症療法」に走っちゃう。。

 

 

 

「このままの自分には価値がない」

「私にはもっと〇〇が必要」

「私は人から好かれない」

「現実は甘いもんじゃない」

「世界は厳しい」

 

そもそも

この↑ 世界観をつくったのは

【母親】であり。

それを生まれた一日目から

コピーしてきたのは【自分】

なぜ?と思った方は→コチラ

リンク記事読んでみてね

 

これ、

受け継いじゃうのは無理もないよね。

最初に出会うのは両親なのだから。

多大な影響を受けながら

価値観の土台が出来上がる。

本人も無意識に受け継いでいる。

 

ただ、社会人になって

自分の人生が

上手くいっていないのであれば

その価値観は手放すとき。

自分にはどんな価値観があり、

それを握りしめているのか。

ちゃんと、とことん、

向き合うときが、今、来ている。

だからこのブログにも

立ち寄ってくれたんだと思う⭐︎

 

 

「自分を大切にする」

 

 

頭ではわかっているけれど

意外にやれてなかったりするよね。

 

本当は今の仕事やりたくないけど

生活がかかっているから

毎日、当たり前に

家のドアを開けて仕事場に向かう。

疑問に思うと、新たな行動を

しなくちゃならなくなるから

自分を蔑ろにしていたほうがラク。

ここは↑ 本人、無自覚

 

夫と仲良くないけど

我慢していれば波風立たないし

推しを応援している間は

不倫している間は

ホワン♡とした気持ちになれるから

そこに逃げていたほうがラク。

ここは↑ 本人、無自覚

 

全然、自分を大切にしてない真顔あせる

 

 

私のように

人から特別に思われるように

価値がある人間だと思われるように

高い評価を得られるように

ハイクラスな生活をして

”カモフラージュ” することもある。

FBの友達を見ても

い、い、いっぱい いるーーーっ

 

全然、自分を大切にしてない無気力あせる

 

 

自分を大切にしていないから

定期的に「大切にされない」という

現実が配達されてくるし

得体の知れないモヤモヤも続く・・・

 

 

で、そもそも。

 

自分のことがわかっていないと

「自分を大切にする」って出来ないよね。

 

そこには

一般常識、とか

世間体、とか

みんなもそうだから、とか

そんな「他人軸」もあって

そっちのほうが

慣れっこになってる。

 

習慣化されちゃっているから

本人では気づかないこともある。

 

 

私、投資生活をしていたので

数年前まで無職だったのね。

なので、初対面の人に

「無職です」っていうと

「堂々と言えるってすごい」

と、よく驚かれた。

働いていることが

きちんとした大人という

概念があるんだろうね。

「なぜ、働かないの?」と

訊かれたから

「通勤ラッシュ無理!」と

応えたら、またびっくりされた!笑

そのわりに、ハイクラスな

生活を送っているので

どこかの会長の愛人とすら

思われたこともある。

毎日のラッシュには耐えられないから

寝ないで投資を習得したのに。。

 

 

本当に自分の望むことは何なのか?

 

今の現状を踏まえて考えてしまうと

見えづらいし、浮かばないよね。

前述↑ のように固定観念が邪魔をして。

 

一旦、全て取っ払って。

 

自分は

どんなことが好きなのか?

どんなことが苦手なのか?

どんな人生を送りたいのか?

 

徹底して

紙に書き出してみるのがいい。

明確にすればするほど

そこにロックオンされて

「脳」もその目的に向かって

”最速ルート” を探し始めてくれる。

 

 

 

自分を大切にし始めると

自分に対し、

嘘をつかなくなるから

一時期「寂しさ」や「孤独」を

感じることがあるけど。

 

それは現実へのタイムラグであって。

そこを越えると

世界がウソみたいに優しくなる。

必ず、現実に反映される。

もし現実に答えが現れなかったら

もっと自分を大切にしてみる。

 

 

 

さらにその先には

 

「自分を大切にする」

 

それさえ

必要ない世界があるよ♡

 

 

シェア、リブログ嬉しいでーすお願い

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

プロフにも書いているけど。

 

経済的に豊かになっても。

友人がたくさんできても。

毎日、自由な時間を手に入れても。

 

「何か違う・・・」
「何かわからないけれど満たされない」

「一旦解決するのだけど、またモヤる」
「大きく手に入れるけれど、失うことがある」
「自分って本当にやりたいことやってる?」

 

この感覚が、消えなかったうーん

 

その後、

膠原病という難病を

発症したことをきっかけに

それぞれ家族の

性質や生い立ちなどを

浮き彫りにして。

幼少期、自分がどんな影響を

受けてきたのか?

そこを解明していったら

あらゆることが好転しちゃって

病気まで克服できちゃった。

 

同病の方のために

少し病気のお話も交えるけど

健康でも 〇〇の部分が上手くいかない

っていう人にも オススメなので

よかったら読んでってね♡

 

続くよ↓

 

その間、

医療のお世話にもなっていないし

薬も一切服用していない。

ただ、生物(地球生命体)として

意識して毎日を過ごしてた。

これだけだとヤバいヤツだよね!笑

 

都会育ちだと、とくに

この世が人間中心の世界と

思いがちになってしまうのだけど

そもそもは、この地球の

サイクルの一部なんだよね。

アフリカとか行ったら

めちゃ実感するんだろーなー

 

 

ここを意識するとね。

スマホをダラダラ見ちゃう!

なんてことにはならないし。

シミや老化の原因になるから

「免疫力」や「睡眠の質」を

高めてくれる太陽光に

絶対に当たりたくない!

なんてことにもならない。

私たち生物全体の多様性を

維持してくれている緑を削って

どんどんビルを建てよう!

なんていう発想にもならない。

 

私が、

都心生活から離れたのは

こういったことに

気づいたからなんだよね。

これはまた別の機会で綴るね⭐︎

 

 

 

で、その難病を

「自然療法」で克服できクローバー

 

冒頭で挙げた

「何か違う・・・」
「何かわからないけれど満たされない」

「一旦解決するのだけど、またモヤる」
「大きく手に入れるけれど、失うことがある」
「自分って本当にやりたいことやってる?」

この感情さえも解消できてしまった⭐︎

 

その要となったのが

【母親ワーク】だったひらめき電球

 

現代の医療では治す術のない

難病も治っちゃうってすごくない!?

ただ、幼少期からの自分を

見て、認めて、受け入れて、

「本来の自分」として

生き始めただけだよ。

事実を事実として認識した。

本当にそれだけで

あらゆる現実が好転しちゃった。

方法は いたってdoシンプル⭐︎

 

その【母親ワーク】について

過去投稿を拾ってみたら

意外に書いてた! あら目

 

ラスボスはお母さんだった!【 Part2】

なんか違うんだよなぁと現実に不足を感じている人

なぜ「過去」を見ることが大切なのか

家族の中で幼少期の私たちはどのように生きているか

あなたの人生は思い通りになってる?

現実がうまくいかないときは〇〇を見て

望む未来をスムーズに引き寄せるために

目の前の問題解決より自分を受け入れ認めていくと勝手に現実は変わっていく

漠然とした「不安」や「恐れ」の正体は?

本来の自分へ戻るほど、あらゆることが上手くいく

 

で、結構、

周りの人たちと話していて気づいたのは

自分の母親はフツーと思っていること。

 

私の母親がスターウォーズでいう

シスの 暗黒卿 みたいな人なので!笑

 

金、もってこ〜い

 

 

こちらのブログに訪れて下さる方々、

「なんだ、うちの母親まともだったー」と

思われていないか心配になった。。

私の母親を基準にしないで!笑

 

子供に対してイライラがおさまらない

夫との関係がうまくいかない

起業したけど軌道に乗らない

スッキリしない不安や焦りがある

自分を好きになれない

自分を責めてしまう

いつも他人と比べてしまう

やりたいことがわからない

将来やお金に不安がある

 

こんなことがあったり。

 

仮に、

母親と仲良しだったとしても

日々の生活の中で

なあんか滞ってしまう出来事が

あるんだよね、という人は

疑ってみたほうがいい。

 

なぜなら、

その仲良しは、実は母親に

「同情」している可能性があるから。

 

 

私のように

父親がポンコツくんだと

「あの父親と結婚したばっかりに・・・」

「母親がかわいそう」

「悪いのはあの父親だ!」

そうやって

暗黒卿であるはずの母に同情し、

力不足な自分を責め、

ますます自身の人生を

ボロ雑巾にしていくんです。

 

これね。

【上下関係を重んじる】という

「儒教」も影響しているんだよね。

そんな教えで

私たちは支配されてきた。。

 

ということで、ここは

明確に分けて行動していかないと

私のように、人生の大半を

満たされない心の穴埋め作業に費やし、

全員が 本来の人生を

生きないまま終わっちゃう。

 

 

母親と向き合う

 

「向き合う」とは

母親と仲良くなることでも

自分の都合の良いように

母親に、わかってもらったり

謝ってもらったり

変わってもらうことでもない。

自分がいかに

母親の価値観に影響され、

それをコピーし、

そのことで自分の人生を

滞らせているのか、

それを「腑に落ちる」まで

理解すること。

そこから、自分を

解放するってことです⭐︎

 

私は、

自分の中につくり上げた母親像と

実在の母親とも向き合った。

 

実在の母親とは介護を通して。

そこで得られたのは

とことん暗黒卿だったってこと!笑

一冊の本が書けちゃうんじゃない1?

っていうくらい、毒親全集!

心理学を学ぶ上での教材としては

めっちゃ有難い存在だった!!

 

そして

そんな暗黒卿な母親でも

この世に存在していい!

決して同情じゃないよ

ここ間違えると

現実、何も変わらない。。

 

こうして、とことん

納得いくまで向き合えたら。

 

本来の自分

「このままの自分で存在していい」

うつみん でいう

0歳0日目の自分に戻り。

ここから行動していくと

全く違った現実が展開していく。

 

ちなみに

腑に落とせたから、現実が

勝手に変わっていくのではなく。

ここから 自らの「行動」によって

「このままの自分で存在していい」

現実で確認していくのだ♡

 

よかったら ↑に拾い上げた

過去の母親投稿、読んでみてね!

 

 

シェア、リブログ嬉しいでっすアップキラキラ

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村
ヒアロディープパッチ

 

 

人間は「自分は〇〇である」と

自己イメージを一旦もつと

そのイメージ通りに振る舞うようになる。

 

例えば、

長女として生まれたなら

私は長女として

「しっかり者」でいなくちゃ

妹に「優しい」人間でいなくちゃ

親を「気遣う」人間でいなくちゃ、など。

 

それがいつしか習慣となり、

このイメージが壊されるような

情報や状況が起こると

否定したりシャットアウトし

良し悪しに関係なく

慣れ親しんだ自分に戻ろうとする。

 

そもそもの人間の仕組みで

”コンフォートゾーン” というもの。

 

これは日常の

あらゆることに作用していて

私が、過去に経験した

病気もそうだし、貧乏もそう。

 

例えば、お金について。

 

皆さんは、普段、

ランチにいくらかけていますか?

私は 一人で食べる場合は

1,000円〜1,500円程度です。

 

皆さんは、もっとお高め?

それとももっと安い?

 

このワークでは

自分がどんな「信念」を

もっているかが 分かるので

フッと湧いた「感情」や「思考」を

見逃さないで下さいね^^

 

このいつものランチ代に

ゼロを一つ加える。

私なら、10,000円〜15,000円。

 

最初の段階↑ でもいいですし

ここで、どんな感情や思考が

生まれましたか?
 

「いつもの私です」

「たまには、アリだよね」

「わぁこんな毎日送りたい♡」

「自分とは住む世界が違う」

「高っ! ムリ、ムリ!!」

 

フッと湧いた「感情」や「思考」が

現時点の自分であり「信念」です。

 

 

もし仮に、貧乏生活がイヤで

現状から抜け出したいのであれば

「自分とは住む世界が違う」

「高っ! ムリ、ムリ!!」

という「信念」を手放さないと

ずっと同じコンフォートゾーンに

いることになります。

ストレスがなく、緊張もない、

快適な場所が「貧乏」だから。

 

この「信念」によって

現実がつくり出されている。

 

なので、

現状が望みとズレているなら

前回綴ったような「未来思考」が

大切になってくるんです左下矢印

 

 

例えば、

「カフェを開業したい」という

目標があったとします。

 

 

いつもランチで訪れているカフェコーヒー

 

何気なく通っていた場所が

「カフェを開業したい」という

目標をもった日から

突然、見えるものが変わってくる。

材料や調理法、食器、盛り付け方、

接客、インテリア、コンセプト・・・

 

先になりたい未来を決めたことで

今までのコンフォートゾーンの

外側に出ることができ、

見えなかった世界が拡がります。

 

目的があるから認識が生まれ

そこから道が開けていく⭐︎

 

 

 

前述したように人間の脳は

常に省エネモードで働いていて

自分が ”重要だと思った情報だけ” を

認識するようになっている。

 

なので、滞ってしまう出来事や

ネガティブな出来事が

続いてしまう場合は

その「信念」を握りしめている。

お金でいえば

「お金を持つ」ことよりも

別の重要度があり

別の優先順位があるともいえます。

 

ここでも書いたよ左下矢印

 

 

私は、長らく兄姉と

疎遠にしていた時期があって

母の介護をきっかけに

また会うようになったのだけど。

その際、

「妹」とか「上下関係」という

「信念」を手放しました。

妹として振る舞うと

妹だから甘えていい、とか

妹だから許される、とか

長男なんだから、とか

姉らしく、とか

そういう無意識の「信念」が

言動に出て、良い関係が

築けないと思ったので。

それは兄姉にも最初に伝え、

結果、良好になりました♡

 

膠原病という難病を

発症したときも

「病名」を手放しました。

また「人間」という信念より

もう一歩、抽象度を上げ、

「生物」として

「地球生命体」として

自分自身を捉えてみると

やるべきでないことや

やるべきことが見えてきます。

 

例えば、自然界で

生物として生きていたら

一瓶にあんなにまとまった量の

植物油を摂ることはないですよね?

油が濃縮されていることもない。

なので、あまり摂るのは

体に良くないということが

見えてきます。

人間が自然界から加工したものは

注意が必要という意味です。

 

また、病気が治った状態で

自分はどんな未来を生きているか

ここも明確にしました。

病気を治すことが目標ではなく

通過点に過ぎないから^^

 

 

 

元々、般若心経とか禅道が

好きなこともあって

最近ではもう名前すら

いらないって思います(笑)

とくに里山に移住してから

わざわざ花の名前なんか必要ないし

(名前って人間の便宜上なだけ 笑)

毎日、自由に生きている

虫や動物たちを見ていると

執着とか名前というものから

解放されていきます♡

 

過去の 港区タワマン生活は

単に「欠乏感」の穴埋め作業であり

先進国の「人間」として

成功したかったんだなあ〜と

しみじみ実感する 昇天

 

もちろん、

里山で仙人のように暮らすとか

清貧が美しいということではなく

むしろ以前より増えていて♡

お金の使い方がまったく

変わってしまったというお話クローバー

 

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

今、現実に見えているものは

すべて過去の私たちが

感じ、考え、選び、行動したもの。

それが目の前に現れている。

 

「こんな貧乏は望んでない!」

「こんな病気は望んでない!」

 

私も、実際

富裕貧乏の両極端な生活を

経験したことがあるし

難病も経験しているので

こう思う↑ 気持ちは

とっても理解できます。

 

確かに、不可抗力と

感じることもあるのだけど

でも、父母の生き方や

祖父母、もっと前の代までの

生き方や考え方などを遡っていくと

法則のようなものが見えてくる。

これは、自己分析で

過去投稿にも綴ってきたので

ご興味のある方はコチラ左下矢印

 

今日は

「現実を変える」テーマで

綴ってみたいと思いますにっこり

 

 

もし、目の前の現実が

自分の望むものとはズレていて

気に入らないのであれば

 

「目標を変えればいい」

 

人間は、いつだって

目標に向かって進んでいる。

常に目指す先を求める性質がある。

何か食べたいからキッチンへ行く。

友人と会うために待ち合わせ場所へ向かう。

どんなに酔っても自宅へ辿り着く。

 

また、頭の中で描いたものへも

無意識に進んでしまうことがある。

子供に「こぼさないでね!」と

注意をかけると、こぼした状態が

脳裏に浮かんで、その目標に

吸い寄せられてしまう。

不安症なら 不安を感じられる

出来事のほうに。

朝、テレビで見た占いの

運気が悪かったら、現実に

悪いことばかりを見るようになる。

それも、無自覚で。←ココ大事

 

つまり

現実はいつだって

自分が決めているってことなのだ真顔

 

と、なると

過去に何か失敗していたとしても

挫折を経験していたとしても。

今の私は〇〇だから・・・

いつも〇〇になってしまう・・・

なんの関係もない。

これからの私たちには関係がない。

 

 

今、考えたことで

未来が決まるのだから

「望む目標に変えるだけ⭐︎」

 

やったーーーーっ音譜音譜音譜

 

 

時間は

今までの延長線上ではなく

未来から流れている。

 

例えば

このブログを未来で読むと決め

実際、今、読んでいて

それが徐々に過去になっていく。

決して、過去から未来ではなく

現実が過去になっている。

 

なので、

過去の自分とは切り離して ←ココ大事

本当の望むものを設定すれば

現実はどんどん変わっていく。

反対に、

過去の延長線上で設定すると

今の自分の能力は〇〇程度だから

〇〇にしておこう、など

小さく狭いパフォーマンスしか

生まれない。

実際の可能性を無視して

自分が勝手に未来を狭めている!

 

関連記事左下矢印

 

 

仮に今、望まない現実が

起きていたとしても

「私は ”過去” そういう信念を持ってたんだ」

「はい、今からやめまーす」

と、それをサクッと認めて

望む未来を明確にすれば良いだけ♡

すると、人間の脳の仕組みで

望む未来の その目標に向かって

どんどん情報を集め始めます。

 

過去の延長線上から

未来を設定するのではなく
「未来から今を選ぶ」

 

Have to から 

すべてが Want to の毎日へクローバー

 

応援クリック

宜しくお願い致します!

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村