当たり前のことができなくなってくる | also171のブログ

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当たり前のことができなくなってくる
 昨今、AI(人工知能)やロボティクス技術が花盛りである。NHKのロボティクス選手権を見ると、ここまで来たかという思いと、まだこの程度なのか、という失望の双方を感じる。 同時に、人間とは途方もない存在であることに気付かされる。人はある動作を実行するのに、状況を詳細に分析し、その都度、瞬時の判断をして、行動プロセスをプログラミングし、それを脳から筋肉に伝え、行動を起こしている。 膨大なシステムプロセスを瞬時に作成すると同時に、状況に応じて調整し、再プログラミングし、それを順次必要部位に伝え、その動作を行っているのだ。 できあがった自然の造形物は素晴らしいと考えることもできるが、それに近づこうとすると、人の浅知恵はまだまだ到底自然の力には及ばないことも思い知らされる。 だが、そうした“自然の造形物”も、中年以降になると、当り前な行動や反応に一部支障を来たすようになってくる。 そんなことはもっと先のことだ、と思っている40代の諸兄も多くいらっしゃると思うが、例えば、足がもつれることなく100メートルを全力疾走できるか? 複数の仕事を同時に遅滞なく、ある品質で完遂できるか? 徹夜の仕事の次の日、通常通り仕事がこなせるか? 最近会った人の名前を覚えているか? 昼飯にラーメン、チャーハンのフルセットを食べても胃がもたれないか? などなど、若い時に平気でできた多くのことができなくなっていることに気づくはずだ。あのときにチャレンジしていれば・・・ これは肉体的な限界と気力の限界の二手に分かれるのだが、不思議なことに気力のピークは肉体的なそれと比べ個人差が大きく、75歳になっても気力の灼(あらた)かな方もいれば、50歳で体力の衰えと比例して気力も落ち込んでしまう人もいる。 だが、気力、体力も充実した「人生の旬」の時期、いわゆる「心、技、体」が充実した期間に、何のチャレンジができるか? とはなかなか考えられないのである。その渦中にいる時には気付かず、その時期を過ぎてから改めて「ああ、あの時期が旬だった」「あの時にチャレンジしておけば」と気付かされるのである。