神話その2:瞑想には宗教が必要瞑想のルーツは、仏教やヒンズー教の哲学にあります。だからといって、それらの宗教を信じる必要はありません。ダライ・ラマ法王でさえ、「信じる信じないにかかわらず、瞑想は可能である」と述べています。New York Timesの記事より:瞑想のコンセプトは仏教、ヒンズー教、中国の伝統に端を発するとはいえ、実験心理学の観点から見た瞑想は、スピリチュアルなものではなく、集中力に関するものだと言えます。すなわち、心を静かにする能力、いまに気持ちを集中させる能力、降りかかる雑念を振り払う能力を意味するのです。古代の慣習と同じように、マントラなどの宗教的要素が入ることもありますが、言葉の内容はそれほど重要ではありません。『The Relaxation Response』という本を書いたハーバード大学の心理学者、Herbert Benson教授の研究によると、内容を問わず、何らかの言葉を繰り返すことに意味があるのだとか。瞑想ガイドのOlivia Rosewoodさんは、同教授のアイデアをこのように説明しています。これらの研究でおもしろいのは、言葉の内容を問わないことです。アヴェマリアでも、梵語のマントラでも、母親の旧姓でもいいのです。何らかの言葉を20分以上唱え続けることで、心身の安らぎという明確な効果が現れます。宗教を信じていて、瞑想で神の近くに行けるのなら、それは素晴らしいことです。逆に、宗教を信じていなくても、瞑想で心の平穏を得ることができるのなら、それも素晴らしいこと。ダライ・ラマ法王によると、瞑想のポイントは心の変化であって、宗教ではないのです。
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