桜の花が少しずつ散り始め、ピンクと緑のコントラストがなんとも言えない生命力を感じさせる季節ですね。
新学年に入って早2週間。
まだまだ自覚なんてものも生まれるわけでなく少し世話しない空気感が漂っているのではないでしょうか。
今日の出勤途中、いつも通り東川の桜を見ながら川沿いを、桜見物のたくさんの通行人をすり抜けるように走っていました。
そんな折、ふと「このきれいな桜は本当にきれいという言葉だけでかたずけられるのだろうか」そんなことが頭に浮かびました。
「この桜の木が自分にうちの庭にあったら、なんて素敵なんだろう。」
「この桜の木が自分のうちの庭にあったら、友人を呼んでゆったりお花見ができるな~」
桜の木を見るとそんな思いが浮かんでくるのが、この季節のお決まりにもなっているのではないでしょうか。
そんな思いが浮かぶのと同時に僕はこんなことを考えていました。
「この桜の木が自分の家にあったら、来年もこんな勢いよく花をつけ、それが散れば新緑という名にふさわしい緑々しい葉をつけるのだろうか」
自分の手元にない美しいものには、ただただ美しさだけを求めます。
またはそこから活力を得ることができます。
それがどうでしょうか。
自分の手元にある美しいものには、美しさよりも儚さや不安を感じてしまいます。
それは子育てのそれに似ています。
あれだけかわいいと思っていた道行く幼子が我が子となると、
「つまずいて転ばないだろうか」
「危険はとにかく取り除かねば」
「楽しくみんなと遊べているのか」
そんな風に不安や戸惑いで、周りにいる子供たちなんかより、また我が子の楽しみよりも、我が子の安全や不幸に対して警戒する自分がいるのではないでしょうか。
時には憂鬱になり、母親という役割を投げ捨てて逃げてしまいたくなることだってあったと思います。いやまだあるかもしれません。
母親とはそういうものなのだと思います。
時には、我が子のせいに。
時には、旦那さんのせいに。
時には、周りの環境のせいに。
そして、自分のせいに。
辛くて切なくてしんどいもの。
それがお母さんにとっての子育てなのだと思います。
それぞれで考え方は違います。
それでも、産まれた時から「自分の責任で生きていきなさい」という親はいません。
「私だけがしんどい思いをして・・・」
そんなことを考えることもあると思います。
でも、外から見たときお子さんは立派な存在として映っているはずです。
ですから、今の自分の子育てを信じて、成長する我が子に期待して、かわらず口うるさい存在としていてあげてください。
やっぱり母親に比べて父親はちょっと無責任です(笑)
「自分で乗り越えさせろ」
「壁にぶち当たらないとだめだ」
「苦しい思いをしてそれをクリアさせろ」
「失敗して次にいかせ」
自分も経験してきていることだからこそ、父親はそうやって言います。
でも誰よりもいつも近くで我が子を見ているお母さんからしたら、不安で不安でしょうがない。
それでいいんです。
今年度も変わらずウィルにお子さんを預けていただき、成長した少し先の我が子に期待していただいていると思います。
そこに対して我々も懸命に一緒になって進んでまいります。
我々はお子さんに対して”期待のシャワー”を浴びせ続けていきます。
ご家庭でも是非ポジティブな感情でお子さんと接してあげてください。
お子さんの感情がそれとシンクロしたとき、間違いなくその期待は実ります。
思いっきり期待して、楽しみにしてやってください。
では。