さっそく謝っちゃいますが、今日の所沢教室のブログのタイトルが、『Buddy!』だったので、ちょっと拝借してしまいました。鎧塚教室長しつれ~い(笑)
ちなみにBuddy Richとは、1970年代を最盛期として晩年までトップを走り続けた、Jazz界のスタードラマーで、白人のバディーリッチ、黒人のマックスローチとしてレジェンド的存在の人。
Jazzというとトランペットやピアノのイメージが強いですが、ドラムが主役を張るバンド形成で、CD💿によっては冒頭からドラム叩きまくりのものまであります。
映画「セッション」のモデルになった人としても有名です。(丸山先生は「セッション」あまり好きでないと言っていましたw)
さてさて、ただいま面談期間真っ只中ですが、毎年面談をする中で生徒たちが感覚的に思ってしまっているのだろうということがあります。それは・・・
『センス(才能)には勝てない。』
「あいつと俺は違うから・・・」
「あの子には勝てない・・・」
「あいつみたいなセンスが欲しい・・・」
言葉には出さなくとも、生徒の話しているときの顔や雰囲気でそんな感情がありありと伝わってきます。
まあ、ただ果たしてそれは正しいのか。
僕は「NO」だと思っています。
人は生まれながらに持っている性質があります。
それは簡単には超越し難い個性で、それがたまたま勉強面での”センス”として見えているだけです。
「じゃあやっぱり勝てないんじゃん!」
そう思うかもしれません。
その”センス”は必ずしも顕在化するとは限りません。
まだ開発されていない魅惑の才能なわけです。
この”センス”を表面化させるのは、やはりその人の行動による所が多くて、その行動は「興味」だったり、「努力」であったり、たまたま何かのきっかけだったりします。
ですから、表面化をさせて、そこに努力を追加されたら、確かに勝てないのかもしれません。
ですが人間は楽をしようとする生き物です。
「自分にはセンスがある」と分かれば、それを育てる事よりも上手く使うことを考えてしまいます。
昨年の中3であった11期生の選抜クラスに、だれが見てもセンスにあふれる2人の生徒がいました。
彼らは、授業自体を楽しむことができて、人の持つ一回り大きい範囲まで興味を持つことができました。
それを間近で見ていたもうひとりの生徒が、しょっちゅう言っていたのが、
「あいつらの才能が欲しい。。。」
面談のたびに、個別対応のたびにその生徒はそう漏らしていました。
練習してもしても、理解するスピードは中々上がってこず、苦しい思いを続けていました。
そんな折、その生徒にこんな話をしました。
「彼らの才能は生まれながらのものにプラスして、
小さい時から様々なものに興味を持ち続けてきたところにある。
その積み重ねが彼らのあの才能を作っている。
彼らが積み上げてきたものを、
〇〇は今までそれほど積み上げてこれていないのかもしれない。
ただ君は、中学校に入って彼らの何倍もの”努力”と”ひたむきさ”を積み上げてきた。
小学生までの間に積み上げたことが少なくても、
その後の努力で確実に彼らに近づいてきている。
あなたには”努力の才能”がある。
それは誰しもが認めていることで、
認められているということもまた”才能”だ。」
こう話したことが伝わってかどうかは分からないけれど、彼は”センス”の話をあまりしなくなりました。
そして現在彼は川越高校に通っています。
先日自習に来た時に
「数学解いているのが楽しくて、ほかの勉強後回しにしちゃってるんですよね(苦笑)」
こんなことを言っていました。
あれだけ「センス、センス」と言って、もがいていた数学に対して。
タイトルのJazz界のトップドラマーBuddy Richも1歳の時からスティックを握り、とにかくたくさんトレーニングすることに加え、編成したバンドで徹底的に実践的な練習を繰り返した”努力の鬼”だったそうです。
「俺はセンスあるから!」
と努力やトレーニングをできない”左団扇”な生活をしていると、「努力」という才能を手に入れた猛者にあっという間に置いてかれるよ。
では![]()
Buddy Rich
僕の好きなCDのジャケット。
映画「セッション」のひと場面。僕はセッション好きです(笑)