昨日のyahooニュースにこんな記事がありました。

 

「一人にしてはいけなかった」佐世保高1同級生殺害6年 塾講師の男性 今も自問

 

もう記憶から薄れてしまっているこの事件。

 

 

人を殺めるということについて、

「犯罪」という視点とはまた違った観点からものごとを眺めなければいけないことを、

改めて思い知った事件でした。

 

 

ただこの記事よりも、それに対して書き込まれているコメントに対して、

何かさみしい思いになりました。

 

 

事件を起こした少女に対して、塾で数学を教えていたというこの男性に対して、

 

「なんてデリカシーのないことを」

「そんなこと言ってどうする」

「塾の講師は、勉強だけ教えていればいい」

 

そんなコメントが相次いで書かれていました。

 

 

「勉強だけ教えていれば良い」

 

そういう価値観の元、塾に通う人が大勢いるってことですよね。

 

そしてこういう人は、中学・高校・大学・会社といったことについて、

その学校名や企業名を最高のステータスと思って日々暮らしているのでしょうし、

自分の子供にもそれを当てはめるんだと思います。

 

 

めちゃめちゃ僕の偏見ですけど。

 

 

 

 

まあ塾って進学実績がどうだ、成績がどうだってところの存在意義は、

部分的な要素としては間違いなくありますし、

否定できないことは否めません。

 

 

ただそこを塾選びの最優先事項にされたら、

ちょっと寂しいなって僕は思っちゃいます。

 

 

 

そこに通っていた先輩の姿、同級生の姿、

そんなものにちょっとした憧れや羨望を持ってウィルを選んでほしい。

 

別にウィルは特別な難しいことをやるから、

毎年平均偏差値が60を超えたり、

卒塾生の70%以上が偏差値60以上経験者だったり、

21%が偏差値70以上経験者だったり、

毎年、川越・川越女子・所沢北に合格者を出したり、

しているわけではないんです。

 

 

伝統とか生徒を取り巻く環境なんかで、

その空気を出来上がっているんです。

 

卒塾生・卒塾講師なら、ホントによぉーくわかるはずです。

 

 

 

僕はこの先生と同じように、生徒に不幸があれば、

お葬式や通夜に参列できる人でいたい。

 

なんて言葉をかけたら良いのか分からなくても、

僕が来ていることを知って、ちょっとでも気が楽になれる存在になっていたい。

 

卒塾後に、相談にやってきた卒塾生が何歳だったとしても、

その話を大事に聞ける人でいたい。

 

純粋にそうやって思いました。

 

 

 

 

 

という僕の戯言でした。

 

 

チャンチャン。

 

 

 

では~おばけ