川を渡りたがっているかなづちのサソリが、

カエルの背中に乗せてくれと頼んだ

カエルは云う。

君を乗せたら僕を刺すに違いない。

サソリは答えた。

僕が君を刺したら両方とも溺れてしまうだろ。

カエルはしばらく考えて納得し、

サソリを背中に乗せ、勇敢に川を渡り始める。

 

だが半分まで来たところで強烈な痛みを感じ、

自分がサソリに刺されたことに気づく。

徐々に沈み始めるサソリとカエル。

 

カエルは叫んだ。

サソリ君はなぜ僕を刺したんだ?

溺死するとわかっていながら。

サソリは答えた。仕方がないんだ。

これは僕の性だから。

 


「なぜ、サソリはカエルを刺したのか?」

このお話、非常に有名。

人間の性(さが)は変えられない。本当は川を渡りたいサソリが、その目的をも覆してカエルを刺したのは元来持つ習性や性質によるところが大きい。

 

我々の生活でいえば、周りにいる人は悪い人じゃない方が良い。

今までたくさん悪さをした人(サソリ)は、いくら反省し改心したように見えても、結局最後には「悪」の顔が見えあなた(カエル)に危害を及ぼすだろう、そんな教訓めいたお話だ。

 

 

ここで見方を替えて、このお話の「サソリ」が自分の中に潜む感情や性格、性だとしよう。

 

「川を渡りたい」=「◯◯を叶えたい」そんな思いはあるんだけど、今まで怠慢を繰り返し、言い訳ばかりをしてきた「後発的な性」が、叶えたい思いに覆い被り、結果何もできていなかったこれまでと同じ行動を続けてしまう。

 

やはり「サボリ」「逃げ」を続けた自分には、目標・目的を持つなんて夢のまた夢か。

 

 

んな事はない。

 

あなたのサボリ、お子さんの怠惰な様子は、全て後発的に生まれた習慣(性)でしかない。

 

人間の元来持つ「知りたい」「情報を得たい」という好奇心や欲望を取り返せば良いだけだ。

 

ただ、これがしんどい。

おサボり・怠惰をたくさん高校・大学でしてきた経験者の冨田が言うのだから、間違いなくしんどい。

 

どこか麻薬常用者の発言のようで、ちょっと情けなくなる(笑)

 

 

僕の場合、例えばそこに生徒がいて、仲間がいて、見守ってくださる保護者の方がいて、卒塾生というデッカい応援団がいて、もちろん家族がいて、いつの間にやら、真っ当に自分に期待しながら生きていたわけだ。

 

 

まだまだ失敗で終わらすには勿体無い。

親も学校も自分のために、色々なことを仕掛けてくれる、背中を押そうとしてくれる。

でも今までが今までだから、素直に言うことなんて聞けないでしょ。

 

 

そんな時こそ学び舎という存在がある。

 

 

別にウィルじゃなきゃダメだなんて思っていない。うそ…ちょっと思ってる(笑)

 

「悪さ」をしていた自分を変えるのは、自分だけじゃ辛い。

 

だから仲間と一緒にやるのよ。

 

仲間の動きを見るのさ。

 

めっちゃ楽しいぜ。