先日、懐かしい顔が教室を訪れてくれた。
新所沢教室に勤務する年長講師と同学年で、11期生の首席だった男だ。
現在は京都のあの超名門国立大学の大学院に通っていて、今回は就職活動のためにこちらにやってきていた。
あわせて、就職活動がひと段落したとのことで報告も含め顔を出してくれたのだ。
それにしても大学院の1年生9月末の段階で、1年半後の就職先が決まっているというのも不思議なものである。
生徒の時からどこか周りにいる人間を小ばかにしているような節もあり、女子たちからは「〇〇ってさ~」と少し煙たがられるようなところがあった。
それでも男連中でわちゃわちゃと楽しみながらいたものだった。
ただあることがきっかけで、それまでヘラヘラとやっていた様子から一変、たくましい学びの姿勢を見せてくれた。
本人が言うに、当時英語の担当だったウィルの講師に、「ヘラヘラやっているのはカッコ悪い。本気でやってる方がカッコいいんだ。」と言われてハッとなったらしい。
その英語の講師のことを自分を変えてくれた恩人とも言っていた。
その後は、浦和高校に進学をして、学年1位の成績表をとったと自慢げに報告に教室に来たりもしていた。
よく考えたら教室に来るときは大体自慢だった気がする(笑)
まあそれは承認欲求の表れだったのかもしれないし、彼にとってそれをしても良い場所だとウィルのことを思ってくれていたのだとも思う。
まわりから見れば、やはりどこか飄々となんでも簡単にこなしているようでも、自分の中での努力はとんでもなかったのだと思う。
そんな彼が、大学院生活や就職活動を経て、
「ついに俺も凡人になっちゃいましたよ」
などという。
聞けば、大学院での学習内容が本当にやりたかったものとはズレてしまっていて、気持ちが保てず、指導者からココロないことを言われたり、就職活動中のインターンシップでは「こんな奴らとは勝負できない」という経験をしたり、今まで自分の努力の上ではあるのだけど、何とかクリアしてきたものが、どこか弱っちいものに感じてしまった・・・
っという彼なりの表現なんだと思う。
彼の言葉を聞いて、それは嫌味なんかではないことが分かった。
努力の上に積み重ねたものがこれまでは学校の学びだったのが、さらに人間力や人としての胆力、忍耐力のようなものを改めて感じ取り、今の努力のレベルならその世界で自分は凡人なのだということだろう。
「やってやりますよ。めっちゃ稼いで見せます。」
デカい社会人5年目くらいの風貌ではあったけど、非常にかっこよかったよ。
君の努力をみんなが見ています。
君の大好きな後輩の現講師Mが、高校時代のあなたの電車内での学習の様子を見て、「あの人には勝てない」って言っていたのを覚えている。(浦和高校から新所沢までは中々に遠いので電車の時間がかかるのです)
「凡人」と言うのは一括りのものではなく、その人の努力し達成した先にある自分の普通のことなのだと感じた。
いや、なんともカッコいい。
勉強になったよ。
そして君や11期の仲間たちの様な、素敵な後輩たちを育てるよ。
またいらっしゃい。
では。