新所沢教室のメイン中学校の一つである美原中学校の修学旅行が、日曜日に控えている。

 

京都から帰ってくるのが火曜日、冨田の選抜数学の授業には何名の生徒が、休まずに参加するのだろうか。

 

めっちゃ大事なことをやると脅して、意地でも来させる作戦をとるかな。

 

 

うそうそ、自分の体力・体調と相談して参加を決めてくれれば良い。

 

 

修学旅行と言えば「人との違いがどこかにあるんじゃないか」と悩むまではいかないまでも、少し不安になるド定番のタイミングだ。

 

 

成長期の子どもたちだから、身体の成長についてもそうだろうし、持ってきているものや、他人の行動で普段目にしにくいもの(家のなかの生活)に近いものを目にする機会なわけだから、そんなシチュエーションに出くわすことは、まあ間違いない。

 

 

こういうものはと他者を落としたり、自分を恥ずかしがったりする必要はなく、、「ほほ~ん、そうなんだ~」と人は人、自分は自分と自己解決すれば良い。

特に議論して正解を求めるようなものではない。

 

 

 

ここの所世の中は「人と比べる」ことに対して、もの凄くネガティブに考えるようになっている。

 

但しここには人それぞれの基準があって、何をどこまで「比べる」のか実は共通の認識は出来ていない。

 

これは冨田が色々な人と話をする中で思っている事なので、冨田的な「比べて良いor良くない」の基準を記してみる。

 

 

まず成績など自分の能力が数値化されるものや、運動能力や芸術的センスなど、他者との比較によって成立するものについては、比べなければ自分の能力を向上させようという意識立ては始まらない。

 

 

免許を持っている人に「あなたの運転能力は平均よりも上ですか?」と質問したところ、93%の人が「はい」と答えたそうだ。

 

平均より上は原則50%しかいないのに、93%が平均以上と答えたということだ。

 

 

つまり同時に同じシチュエーションで比較ができないものには、「比べる」という作業のピントがぼけてしまうことになるわけだ。

 

客観的に他者をみて比較することが出来ないと結局のところ自分の能力を正当に判断することが出来ないということだ。
 

 

これが「あなたはご飯を食べるのが早いですか?」という質問なら、他者と食事をとる行動で比較ができる。

 

他者の様子を見て、比べ、食べるペースを上げたり下げたりするわけだ。

 

デートの時に、女の子が食べている様子に合わせて、早食いの男がペースを落とさないと女の子に気を遣わせてしまう。

 

 

話を戻すと比較をしないと、人は自分のことだけが基準になってしまう。

 

事自分の力を引き上げる必要がある学習やスポーツにおいて、これが出来ないと成長のスピードが思いっきりスローリーになってしまうわけだ。

 

 

人ありきの自分なわけだ。

 

 

人と比べた後に、嫉妬したり自己評価を下げたり、自信を失ったり。

そういう所は比較しなくていい。

 

 

その状態であることを自覚し認め、改善するための手立てを考えるのだ。

 

 

自信がないというのは、「失敗するかもしれないから、保険をかけさせてください~い」ということと同じ意味。

 

そうならないように、やれる修正はせねばならない。

 

 

さてさて今日もバタバタの1日が始まる。

 

がんばっていきますか。

 

 

では。


↓訳あって娘の修学旅行について行った時の写真3枚



①京都タワー?の前で格好つける冨田


②おしゃれなドーナツ屋ではしゃぐ冨田


③外国人しかいなかった金閣寺