縁起ばっかり担いでも、それに見合う行動や考え方がないとなんも意味無いよ、そんなことを一個前の記事で書いた。
とは言っても、自分の事じゃなければ縁起はいくら担いでもいいでしょう!
と言う事で、講師たちと一緒に毎年恒例の合格祈願に行ってきた。
今年は湯島天神。すでに単願で入試を終えた私立組のお礼と、ここから本番を迎える県公立組の合格祈願。
パンパンと手を叩きお願いしながら、一生懸命自分を高めようと頑張る生徒たちの顔が思い浮かぶ。努力に見合う結果をしっかりと得てくれることが、我々指導するものの願い。
どうやってこの残り期間を充実したものにするのか、させられるのか。そう考えるとやっぱり生徒だけの受験ではなく、我々の受験でもあるとしみじみ…しみじみじゃ無いな、ヒリヒリだ。
そう、ヒリヒリと感じる。
親御さんもなんとも言えぬ思いの中、我が子たちを見守っていることだろう。まさにヒリヒリだ。
2年前の娘の時に自分も感じたこの感情。
自分のことでは無いんだけど、自分とは別の個なのだと分かってはいるのだけど、どこか自分の分身としての感情も湧き出てくるのだ。
達観した人からしたら、ダメな親の例なのかもね。
でもね、どの年齢になったって、初めてやることは全てがドキドキだ。
子育てだって、打った手に対して、全てが同じ結果になるわけでは無いんだから、達観仙人さまお許しください。その域には中々いけませんわ。
さあ願い・思いは伝えた。
あとは信じてやれるだけ背中を押しまくれば良い。
最後まで一緒に頑張ろうぜ。


