小学校高学年から中1くらいのお子さんをお持ちの親御さんは是非聞いてみて欲しい。

 

「ラーメン屋さんをするとしたら、1杯いくらで売る?」

 

「じゃあそれを作るのに、材料費や光熱費はどのくらいかける?」

 

             ↑これは冨田の好みのラーメン

 

大人が考えれば、1杯の値段が材料費を下回るなんてことあり得るわけがない。そうお思いでしょう。

 

聞いてびっくり、この質問を10人くらいのクラスで聞いてみると、1人や2人はそういうふうに答えてくる。

 

「だって美味しくなきゃ買ってくれないじゃん」

「せっかく食べてくれるのに申し訳ない」

 

 

なんて恵まれた時代なんだろう。

なんて豊かな時代なんだろう。

そして、なんと恐ろしい時代なんだろう。

 

 

経済としての仕組みが大きく大きく崩れ去る価値観だ。

 

 

冨田が中学生の頃は、ちょっとした不良風情が、買ってきたのか盗んできたのかわからない流行りの代物を、学校で同級生たちに売り捌いていた。

 

もちろん店で売っていた値段(盗んでいたらプライスレス)よりも高い価格で。

 

転売ヤーの先駆けとも言えよう。

 

 

知識・学習・あたり前という意味では、この危ないことをしている不良転売ヤーよりもよっぽど危険な状態にいる事になる。

 

そしてその状態のまま他の知識も増強しようとするとなると、理解が及ばない範疇にぶち当たる。そうなると丸々暗記する事になる。人間そんなにたくさんのことを覚えていられないし、本当は覚えたくもないわけで、どんどん学習が嫌になる。

 

逆に知っているモノが増えていくと、「もっともっと」の欲が強くなる。

 

リブログした1年前の記事にもあるが、コツコツと蓄積したものはお金も知識も学習もめちゃくちゃ強い。

 

仕入れた知識を使って次の知を得る。そしてそれを繰り返す。それができず一気に畳みかけて得た知は非常に脆い。

 

親御さん自身の学力が高い場合に案外多い、

「これくらいできるでしょ、知っているでしょ」

の落とし穴。

 

蓄積知(冨田の作った造語)の礎は、幼い頃からの経験や会話、情報の注がれ方による所が大きい。

 

 

是非「うちの子に限って…」と思いながら、お子さんに尋ねて頂きたい。