「脳は得たい情報にしか反応しない」

 

 

よく言われていることですよね。

 

 

「最近、冷蔵庫の調子が悪いな~」って思っていたら、

紙広告やネット広告を見れば、冷蔵庫が気になってしまいますし、

家電量販店の近くに行けば、「そういえば冷蔵庫が…」

なんてことになります。

 

 

これ学習の世界でも起こっていて、

海外旅行に興味のある人は、英会話や物価のことに敏感になるし、

資産形成に興味のある人は、投資や保険のことが気になって、

今までなら「自分には関係ない」と流していた情報にも目も耳も向くことになります。

 

 

生活に不便があることや、ポジティブなことになら、

こういう情報取得のための脳の働きはありがたいものなんですが、

当然ながら逆のパターンもあります。

 

 

例えば、

数字に対してネガティブな感覚を持っている人は、

数学の概念や理屈に対して追及することを嫌がります。

 

英語にネガティブな感覚を持つ人は、

積み上げるべき語彙の獲得に対して甘い考えを持ちます。

 

国語にネガティブな感覚を持つ人は、

文章を読んでいても、ただ文字を目で追いかけるだけで、

文の中身について考えながら読もうとしません。

 

 

上記のような場合は、

自分にとってその学習が必要なものだと強く認識して動き出す場合か、

素晴らしい指導者に出会うか、

「偶発的」なきっかけがないと中々修正が難しいことになります。

 

 

ただ子供の学習において、もっとタチの悪いケースがあります。

 

 

それは、

「授業の終わりを待つことができる」こと。

ようは授業内容が「得たい情報」になっていない状態ということです。

 

 

授業の内容が面白いとかつまらないではなく、

「授業とは45分ないし50分の時間が終わるのを耐えるもの」くらいの感覚になってしまっているケースなわけです。

 

 

これを小学校6年間でずっとやり続けてきた場合、

平均して1日の授業数が5コマ、年間授業日数200日だった場合、

5コマ/日×200日×6年間=6000コマ

 

 

6000コマ分の授業をそんな風に受けてきた状態で、

「中学校に入るからそろそろ頑張らなきゃ」「中学生だから塾に入れよう」

となっても、99%手遅れです。

 

 

「授業の終わりを待つこと」が目的になっているので、授業の中身何てどうでもいい。

少し楽しそうなことをしていたら、何となく笑って、

そうでなければ、ずっと「すーん」とした感情のない目線。

タチの悪いのは自分の妄想を他の人にも共有しようとして、人の学習の機会を奪う。

 

 

でも、これって子供たちが悪いケースばかりではないと思うんです。

 

幼い時から培ってきた価値観は、根強く残っていきます。

その「価値観」は自分で形成したものより大人から与えられているケースが多いはず。

 

 

指導する人間のいい加減さに、子供たちが「適当でも良い」と思ってしまったり、

親の与える学校や先生に対しての評価がネガティブだったり、

まわりに目を向けるのではなく、自分本位な視点の価値観を与えてしまったり、

色々なパターンがあるんだと思います。

 

 

幸い今の小4~中3の生徒たちに、そこまでのことはないのですが、

過去を振り返って分析をするときに、学習能力以外の要素で、

「きびしいな」と思ってしまうのが、上記のことでした。

 

 

聞いていても、聞いていない。

見ていても、見ていない。

 

 

学校の先生の「静かにまじめに授業を聞いていますよ」は、

良い評価として捉えるより、危険信号として捉えるべきかもしれません。

 

 

こうなっていないか親が判断できる機会は限られています。

 

親御さんには小学校の低・中学年の時から、

授業参観や学校公開には積極的に参加して、

その辺りを見ておくことも必要だと僕は思っています。

 

 

教室の後ろからではなく、教室の前扉側から、

お子さんの授業参加の様子を見ていただくことをお勧めします。

 

 

 

では~