丸山です。

 

人というものは「自分の属する集団の当たり前」が、自然と「自分の当たり前」になっていくものです。

 

「丸山の当たり前」も、その多くが、高校時代に形成されたものです。

中学時代までの地元限定の世界がいかに矮小だったかを痛感し、そして同時に、世界を広げる橋渡しをしてくれた、そんな高校時代でした。

 

先日、高校1年次の担任に会う機会があったので、回顧録です。

 

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今でも鮮明に覚えているのは、1学期の成績が出た後の先生との面談です。

 

 

「東大とか一橋とか最難関の国立を目指せ!」

 

 

東大だなんて別世界の話かと思っていましたが、当時、自分がやっている勉強が、そういう最高峰のレベルと地続きであることを初めて意識した瞬間でした。

 

「東大はいくらなんでも難しいんじゃない?」

「もっと分相応なところを目指せばいいだろう」

 

っていうのがオトナになることだと思っていました。

でも、川越高校でなら、何大学を目指そうが、誰からも笑われなかった。

コドモのままでいることが許されたんです。

 

 

 

この面談はきっかけに過ぎません。

 

1年生の終わり、部活の2個先輩が東大、東工大に合格しました。同期の中にも、東大と口にするヤツが現れ始めました。

翌年、同期と一橋の学祭に行きました。合格したわけでもないのに、校舎の佇まいに妙な高揚感を覚えたのが2年生の夏。

テスト期間や長期休みの練習後には図書館に入り浸り、部活みんなで集まって勉強するのが恒例になっていきました。

試しに解いてみたセンター試験の過去問は、高校の定期テストよりよっぽど簡単で、自信をつけました。

春先、1個先輩が早稲田の政経に合格していたけど、一橋に行きたいからと浪人を決めました。次は自分たちの番だと、この頃にはもうテスト勉強ではなく受験勉強をみんなが始めていました。

 

丸山の高校3年間は、周りで最難関大学の名前が当然のごとく飛び交う環境でした。

気づけば、いつしか確信に変わっていきました。

先生が面談で言ってたことは夢物語じゃない。

もしかしたら、自分も。

 

 

 

結局、丸山は志望大学には不合格、早稲田大学に進学します笑

でも、他の高校に行っていたら、最難関の国立大学だなんて目指そうとすらしなかったかもしれません。

早稲田を滑り止めだなんて思わなかったんじゃないかな。

1年生の時のあの面談がなかったら、バスケ部じゃなかったら、「丸山の当たり前」は今のようにはならなかったことでしょう。

 

 

 

当時の担任が「学力が全てではないけれど」と前置きして言っていました。

「レベルの高い学校ほど、スゴイ奴らに出会う可能性が高まる。そこで過ごす時間は高校生にとって何よりも価値がある。」

 

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自分の周りの当たり前が、自分の当たり前になっていく。

 

大人であれば、職場、地域、学生時代の友人と複数のコミュニティを持っているでしょう。

しかし、子供たちはどうでしょう?学校以外に思いつくのは習い事くらいでしょうか。

 

特別なカリキュラムや学習メソッドなんて要りません。

ウィルで最大限活用しているのは「当たり前」の空気です。

 

小学生のうちに集まったメンバーが、卒業までの3年以上の間、お互いに刺激を受けながら、「当たり前」のレベルをひたすら上げていくんです。

 

授業を聞く時の貪欲さも、わからないものに出会った時に諦めない胆力も、怠けたい心をコントロールする力も、人間性も、プライドも、その環境の「当たり前」で醸成されていくものですから。

 

教室にいる全員が、「今の自分より良くなろう」「次はもっと」「そうしていれば、いつしか100点に辿り着くんだ!」という空気を持っていれば、誰だって嫌でも成長していきます。

 

僕らは、そんな学び舎を作りたいし、作ろうと、もがいています。

 


以上、丸山でした。

 

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丸山の以前の記事は、下記のリンクをどうぞ。

 

できる生徒たちの考え方は環境で作っていく

偏差値60になっていく仕組み

息子を通わせるなら、どんな高校がいい?

今の私は、過去の私で、できている

そのこだわり、捨てられますか?

“わかりやすい”って評されてるうちは、まだまだなんだよなぁ。