今年度の『ジーニアス・アワー』を担当します、丸山広哉です。

 

 

 

さて、丸山の歴史の最終回!

今日は受験のお話です。

 

 

 

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夏休みの学校説明会で、川越高校を第一志望に決めた丸山少年。

 

7月に受けた北辰テストの結果、

3教科はss70オーバーでしたが、

5教科はss65程度しかありませんでした。

 

川越高校に確実に行くには、5教科でもss70オーバーを叩き出すくらいでなければいけません。

 

夏休みは理社の総復習でした。

学校の授業ノートすべてをまとめ直す。

↓こんな感じで。

※社会はきれいに書けている公民の範囲を載せています。

 中3の夏に復習しなおした範囲とは異なりますが、ご了承ください笑

 

当然、塾では夏期講習を受けています。

授業を受けるのと同時並行で理科社会の自学。

休みの日や塾が始まる前に、コツコツ、それでも毎日欠かさず進めていきました。

 

3年の夏休み、自学をしていて痛感しましたね。

 

いや、範囲広すぎだろ!!

どんだけあんねん!!

 

と同時に思うわけです。

 

中1・中2のうちから100点を目指して学んできてよかった。

 

なんだこれ?

ってものに出くわさずに済みましたから。

 

 

 

 

 

結果、

9月の北辰テストでは、3科・5科ともにss70を超えました。

それ以降の北辰テストも、もちろん全部ss70オーバーです。

 

目標を設定して、

自分で課題を発見し、

解決のために努力する。

 

自分で自分を育てられる生徒だったわけです。

 

ココこそ、丸山少年が優れていた最大の理由です。

 

選手としてだけでなく、コーチも自分でやってしまう。

 

サボりたい、怠けたい心に鞭打って、

一歩ずつ、コツコツ、着実に成績を上げていきました。

 

 

 

当時の北辰テストでは、ss70以上の成績優秀者の名前を掲載した冊子を発行していました。

毎回、その冊子に自分の名前が載るのが嬉しかったですね。

 

今では、個人情報にうるさい時代になって、その冊子もなくなっちゃいましたけど。

同じ中学の友人に負けていないか、よく探してましたね。

顔も知らないどこかの誰かを勝手にライバルにして、競争もしていました。

 

その顔の知らないライバルたちにも、いずれ出会うわけです。

後々、川越高校に入ってからの話ですが。

 

 

 

 

 

ちょうど、この頃でしょうか。

陸田先生と仲良くなりだしました。

 

中3のときに丸山と陸田はクラスが同じだったんですよ。

偶然、班が一緒になったとか、そんな理由でよく話すようになったんだと思います。

 

休みの日には、一緒にファミレスやカラオケに行って、よく勉強しましたね。

平日は、塾に行く前にも、やってた気がします。

 

ただ、中学生ですから、お金もあんまりなくて、そう頻繁にお店には行けませんでした。

そこで活躍したのが、陸田家が営む呑み屋さんでした。

 

お客さんが来る夕方までの時間は、陸田少年が自由に出入りしてよかったようで、

よく招待してくれました。

 

お互い問題を出し合ったり、

質問をされたり、

たまに遊んじゃったり。

 

 

学校でも一緒にいる時間が増えました。

 

 

ただクラスが同じだった。

それだけの縁ですが、10年後もこうして一緒に働いてるわけですから、不思議ですよね。

ホント、珍しい関係です。

 

 

 

さて、1人では長続きしない勉強も、

ライバルが隣にいると頑張れるもんです。

 

丸山と陸田で、一緒に合格しよう!

って話をしていました。

 

とはいえ、人生初の受験。

 

「川越高校は西部地区で一番の高校だぞ?

毎年、東大合格者だって出るようなとこだ。

そう簡単に合格できるわけないだろう。」

 

ってビビってたわけです。

それが良かったんでしょうね。

 

 

自分の未知のものでしたから、先達に素直に教えを乞う

舐めることなく、不安をかき消すために、ひたむきに学べました。

 

 

もっと、もっとできるようにならなきゃ!

川越高校はすごいんだから!!

 

 

やっと、自分が川越に入れそうだな、って思えたのは、

年明けの最後の北辰テストでした。

 

川越高校を志望した生徒のうち、順位が16位。

ちょっとのミスが出ても、合格できるくらいの実力が付いていました。

最後に最高の結果を持ってこられた!

 

自信をつけた丸山少年。

2月頭に控える、入試に向けて、追い込みをかけます。

 

 

 

当時の問題(前期入試)は川越高校が独自に作成した難問。

教科書に載っている知識より、その場で新しい知識を飲み込む能力が問われます。

 

さらに、自校作成問題に加えて、面接もあります。

陸田先生と交互に、模擬面接の練習もしましたね。

 

やれることは全部やって臨みました。

 

 

 

 

 

迎えた入試当日は、国語の問題が激ムズ。

それ以外はほとんど解けただろう。

ってなマズマズの手応えでした。

 

面接も、部活動のことを話せてうまくいき、

面接官をした先生に褒めてもらえる出来栄えでした。

 

 

 

 

 

 

掲示板に自分の受験番号を見つけたとき、鳥肌ものでした。

事務所で合格通知を受け取り、少しずつ実感がわいてくる。

帰り道には、小さくガッツポーズをしていました。

 

 

 

丸山の高校受験は、3つのものに支えられていました。

 

1.部活を誰よりも頑張ってきたという自負。

2.塾から教わる、受験生としての心得。

3.切磋琢磨する好敵手(陸田先生)。

 

 

 

それでも、川越高校に合格できたのは、

他の誰でもない、丸山自身の力です。

 

 

 

丸山少年の、初めての人生の決断。

10年たった今でも、僕に大きな力を与えてくれる経験です。

 

 

 

また、丸山の気が向いたら、

高校編、大学編と書くこともあるかもしれませんね。

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